海軍力強化と民主政の発展
市民参加による民主政の基礎を築いたアテネの狙いは国防の強化にあった。ギリシャのポリス諸国と東の強国ペルシャとの間で40年以上にわたりエーゲ海の覇権をめぐって争われたペルシャ戦争は、BC449年、ギリシャ側の勝利で幕を閉じた。
勝利の立役者は、ギリシャポリス同盟(デロス同盟)の盟主だったアテネの海軍力だった。戦争初期のBC483年、アテネ近郊で銀の大鉱脈が見つかり、アテネには莫大な富がもたらされる。その収益の使い道について、民会は、海軍力の強化に注ぎ込むように決定する。これにより生まれた巨大な100隻の戦艦群が、ギリシャ侵入を試みるペルシャ軍を打ち破った。同盟内でのアテネの地位は揺るぎないものになる。
戦争末期にアテネの指導者に上り詰めていたペリクレスが、市民参加の政治を推進したのは、挙国一致体制を築くためであったが、終戦後のペリクレスは、デロス同盟の盟主の地位を利用して更なる富国強兵策を図る。
デロス同盟資金の流用
デロス同盟とは、古代版のNATO(北大西洋条約機構)のようなものだ。仮想敵の脅威に対処するために、加盟国は、強大な軍事力を持つ盟主国(NATOではアメリカ、ここではアテネ)に頼らざるを得ない。デロス同盟では、加盟各国から貢租金を集めアテネが管理していた。戦争は終わったものの、ペリクレスは、海軍維持のために必要であるとして、貢租金を集め続ける。そしてそれを国内政治に流用した。
その額はアテネの国家歳入に匹敵するといわれる。その金でペリクレスはアクロポリスの丘に巨大で華麗なパルテノン神殿を建て、15年にわたる失対事業として市民にばら撒き、アテネ民主政の象徴である民会参加者への日当にも充てた。アテネの富国強兵策もきれい事だけではない。
近代で言えば、石油資源の発掘が国富をもたらし、軍事力を強化して国際政治力が増すとともに国民の生活、文化レベルが向上してデモクラシーが発展する。時代は移れども、経済と政治、軍事、社会文化発展の構図は変わらない。
アテネ市民の義務と責任
最後に、現代のわれわれが参考とすべき点に触れておきたい。古代アテネの民主政では、職業としての公務員はいない。役人としての職責があるだけだ。役人は市民権を持つ自由人から抽選で選ばれた。権限を伴うからその悪用を防ぐために任期は1年に限られ再任はない。
任期が終われば、会計責任者なら監査を受け、不正があれば処罰を受ける。行政の瑕疵に対する評価も下されることになる。統治される市民が統治する立場に就く。身分や所有資産に関係なく、だれもが順繰りに責任ある地位に就いた。しかも市民全員が、民会で平等に発言し、政策決定に賛否を投じる「国会議員」としての権利と義務がある。そこに政治参加への自覚と国家運営に対する責任が生まれるということだ。
平等に一票を投じる権利を当たり前に持つ現代のわれわれに、政治参加に対するそこまでの自覚があるだろうか。デモクラシーとは、天から降ってきたただの授かり物ではない。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
(参考資料)
『古代ギリシャの民主政』橋場弦著 岩波新書