戦間期の宥和(ゆうわ)ムードの中で
第二次世界大戦勃発前夜の1938年9月29日、英国、フランス、ドイツ、イタリアの首脳が、ドイツミュンヘンに集まり会談を開いていた。テーマは、ヒットラーが割譲を要求する東隣のチェコスロバキアのズデーデン地方の取り扱いだった。
ドイツと国境を接するズデーデン地方はチェコスロバキア領だったが、圧倒的にドイツ系住民が多く、ヒットラーは、総統就任後、繰り返し、「同胞の権利保護」を訴えて、軍事作戦の動きを隠さなかった。現在進行中のウクライナ事態でのロシアの動きと酷似している。
チェコスロバキアはフランスと相互防衛援助条約を結んでいたから、ドイツがチェコスロバキアに軍事侵攻すればフランスも参戦せざるを得ず、世界大戦に発展する危機をはらんでいた。英国首相のチェンバレンは、ミュンヘン会談に先立って個別にヒットラーと会い自重を促していたが、ヒットラーは割譲要求を取り下げず決裂していた。
当時の欧州では、3700万人という未曾有の戦死傷者を出した第一次世界大戦の記憶も生々しくて厭戦気分が広がっている。宥和を求めるムードの中でチェンバレン、フランスのダラディエ、イタリアのムッソリーニの三首相は、ドイツがこれ以上の領土要求をしないという条件で、当事者のチェコスロバキア代表を蚊帳の外に置いたままで、ズデーデンの割譲を認めるミュンヘン合意に署名する。
見捨てられたチェコスロバキア
再び戦争に巻き込まれることを恐れていた英国、フランスの国民は合意を歓迎した。戦争の危機を回避して帰国したチェンバレンは、ロンドンの空港を埋め尽くす英国民の歓呼の声に迎えられた。
一方でチェコスロバキアにとっては国家消滅の危機の始まりだった。同国は、チェコ、スロバキア両民族のほか、北隣りのポーランド、南のハンガリーとの境界地域にも、両民族がにじむようにして居住している多民族国家だ。ドイツのズデーデン割譲をみて、両隣国からも領土割譲の要求が噴き出し、収拾がつかなくなる。
ドイツはというと、1935年に本格的再軍備を開始したばかりで、軍の中にはこれ以上の軍事侵攻は時期尚早との声もあったが、ヒットラーは、英仏ともに軍事力でドイツを押し留める意思も、能力もないと豪語して国民の戦意を煽る。翌1939年9月にはチェコスロバキア全土をドイツの保護国として吸収し、同国は地図から消えた。さらに工業地帯のズデーデン地方の工場で軍需品を増産し、軍備を大幅に増強してゆく。
チャーチルの慧眼
ミュンヘン合意大歓迎一色の英国にも警鐘を鳴らしていた男がいた。合意直後に開かれた英国議会で演説に立ったのちの首相チャーチルは語気を強めてチェンバレンを批判した。
「すべては終わった。見捨てられ打ちのめされたチェコは沈黙と悲しみに包まれて闇の中に退場する。われらの誤りは、恥ずべき無関心と(チェンバレンの)無能にあったこと、われらは戦わずして敗北したこと、その敗北が後にまで尾をひくことを知れ。これは終わりではない。やがてわれらに回ってくる大きなつけのはじまりにすぎぬ」
チャーチルの予言通り、ヒットラーは、1939年9月1日、増備された機械化軍団を先頭にポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まる。平和を夢見たフランス、英国にも襲いかかってくる。
指導者たるものは、目先の安寧のために妥協策を選ぶことなく、力による現状変更の企みには、悪意を芽のうちに毅然と断つ覚悟が求められるのである。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
「世界の歴史23 第二次世界大戦」上山春平、三宅正樹著 河出文庫
「危機の指導者チャーチル」冨田浩司著 新潮選書
「チャーチル」河合秀和著 中公新書






















