WEDGE 2014年 4月号(3月20日発売)掲載
このページに掲載している記事は、WEDGE4月号に掲載されたものと同内容です。
二人の出会い
牟田 木村社長に初めてお目にかかったのは、私の「無門塾」の第一期生として入られた時ですね。
木村 25年前です。自衛隊を辞めた後、いろんなアルバイトを経て独立し、自分で商売を始めましたが、もっと経営の勉強がしたくて、牟田塾長の門を叩きました。
牟田 私の第一印象は、あなたはカラオケ業や弁当業など、なんでもかんでも儲かりそうなものに手を出していました。すごいのは、どれも失敗せずに儲かっていた。
木村 ほんとにいろんな商売をやってましたが、その中で、水産会社でアルバイトをした経験をいかして、寿司屋にマグロの切り身を売る仕事をしました。当時、回転寿司が流行り始めた頃で、お店の人に安いうえに手間がかからないと大いに喜ばれましたが、それが今の「すしざんまい」に繋がっています。あなたは非常に動物的嗅覚の鋭い、行動力のある人だと思いましたね。
牟田 私の塾では、みなさんに事業発展計画書を作ってもらうのですが、あなたはまだ一生をかけてやる事業を一つに絞りきれていなかったので、あなたの場合は、そんなに急いで作る必要はないなと思って見ていました。
木村 塾のメンバーが次々と、りっぱな事業発展計画書を作るのを横目で見て、少し焦ったことを覚えています。
一週間で作り上げた事業発展計画書
牟田 しかし、御社のメインバンクが破綻して、資金繰りのために、急遽、事業発展計画書を作らなければならない事態になりました。
木村 そうでした。あのときは塾長に手伝っていただいて本当に助かりました。水産関係の商売をしていた関係で、メインバンクは北海道拓殖銀行でした。バブル崩壊後の1997年に北拓が破綻し、それまで一度も滞りなく返済していた借入金の一括返済をいきなり要求されたのです。本当にひどい話ですが、倒産の危機でした。そのとき塾長は「事業発展計画書を作って、他の銀行に融資をお願いしよう、時間がないから私も手伝うよ」とおっしゃっていただいたことを今でもよく覚えています。牟田 そうでした。私が指導する事業発展計画書は、基本的に「理念」「戦略」「戦術」「目標」という4つの体系があります。事業発展計画書とは、簡単にいえば、暗いトンネルの先に見える希望の光のようなものです。社長と社員が一体となって進むべき方向と進み方を示すものです。本来、社長一人で書き上げるものですが、あのとき、時間がなかったので分担して作ることにしました。そこで、木村社長には「理念」をまとめるようお願いしましたね。最初から短い言葉にまとめるのは難しいので、「まず事業に対する強い想い、社員に対する想いを自由に書いて送ってくれ」と。
すると、ものすごい原稿が届きました。今でもその手紙をもっていますよ。何ページにもわたって句読点が一つもない。非常に読みにくい。しかし「お客様に美味しいお寿司を食べてもらいたい」「社員ともに幸福になりたい」という、あなたの心の底からの叫び声が聞こえてくる、思わず涙が溢れるような内容でした。
木村 お陰様でその事業発展計画書を他の銀行にもっていって交渉し、危機を乗り切ることができました。その時いろいろ手掛けていた事業を清算し、残った資金で築地で始めたのが、10坪の「喜よ寿司」でした。どこよりも良心的な価格でおいしいお寿司を提供することで、行列が絶えない繁盛店になりました。このお店の延長が現在のすしざんまいチェーンです。
牟田 隣は不夜城の銀座という築地の立地をいかして、あなたは誰もやったことがない24時間営業の寿司屋をやり、開店の年に1店舗で年商が10億円を超えました。まさに日本一の寿司屋です。
木村 正直、私も驚きました。24時間営業については自衛隊で3交替制勤務を経験していましたので難しくなかった。
事業発展計画書が秘めるすごい力
牟田 現在、何店舗になりましたか。
木村 53店舗で、売上は200億円を超えました。
牟田 事業発展計画書を作ってみて経営が変わりましたか。
木村 社長と社員が同じ目線で目標に向かって進むことができる点がすばらしい。全員の励みになって、まとまりも良くなり、個人攻撃もしなくなりました。まさに魔法の書です。なによりも、事業発展計画書を毎年書くことで、状況の変化に対応でき、未来に対して、確実な布石を打っていくことができるようになりました。
さらなる成長と安定を求めて
牟田 今後、どう展開されますか。
木村 53店舗すべて直営ですが、今後は世界に出て、フランチャイズでも拡げていこうと考えています。また、東京の豊洲に2200坪の店舗をつくることも考えています。
牟田 お寿司は世界的なブームです。昨年、和食が無形文化遺産に登録され、フォローの風が吹いています。基本的に今後は業態を変えるなり、少し多角化して多店舗化を進めることが安定的に成長できる道でしょう。できれば300店舗から500店舗ぐらいつくってほしいですね。逆に1店舗に集中して莫大な資金を投入するのはバクチです。いずれにしても、拡大を急いで、クオリティーを落としてはいけませんが、やり方次第では今後、売上1千億円も夢ではないでしょう。
豊洲に場外市場を作る計画の事業提案
牟田 ところで、豊洲(東京都江東区)に2200坪のお店をつくるというお話は、中央卸売市場築地市場が豊洲に移転することと関係があるのですか。
木村 はい、東京都からの正式な発表はまだなのですが、都は築地市場を2016年3月に豊洲へ移すのに合わせて、新たに場外市場をつくる計画を進めています。そこで、わたくしどもがコーディネーターとなって場外市場に5000坪の千客万来の施設をつくり、いろんなお店を誘致して、「すしざんまい」も出店するという事業提案書を都に出しました。
(編集注)2014年2月19日、東京都は築地市場の移転先、東京都江東区豊洲の場外市場の整備事業予定者にすし店「すしざんまい」の喜代村と大和ハウス工業を選定したことを正式に発表した。両社は都から豊洲地区の敷地24,000平方メートルを30年契約で借り、4棟で商業床面積約80,000平方メートル、食に特化した商業施設を建設する。投資額の200億円前後は両社が負担する。(日本経済新聞2014.2.19)
牟田 東京に新しい商業地をつくっていくという発想はいいですね。すでにこの計画を社内で発表されたのですか。
木村 いえ、正式な東京都の発表があってからにしようと思います。構想では、新市場と関係のある飲食店や、かつお節や魚肉練り物などの専門店など140店を誘致して、温浴場や屋台村などもつくって、国内外の観光客に来ていただくという大きな計画です。私は築地に大変お世話になったので、その恩返しをしたいという気持ちと、これまで私がやってきたことの集大成として、このプロジェクトをぜひ成功させたいと思っています。これがその事業提案書です。今日、塾長に見ていただくために持ってきました。
牟田 これは事業発展計画書の設備投資計画に当たりますね。なるほど、わかりやすくまとめられている。そういえば、木村社長がはじめて作った事業発展計画書で、一番感心したのは、今後どの地域に出店していくのかがひと目でわかる、地図を使ったビジュアルな出店計画書でした。あれは素晴らしかった。ところで豊洲については繰り返しになりますが、「すしざんまい」をこれから全国に数百店舗増やしていくのと違って、豊洲の事業は一つに集中して投資するのでリスクが高い。2020年に東京オリンピックが開催されることが決まり、豊洲に選手村ができますから、開催中は大勢の人が訪れるかと思いますが、1964年のオリンピック後の不況を踏まえて、一つに集中投資することのリスクをいかに抑えるかが、この事業の成功の鍵となるでしょう。リスクを軽減させる方法はいろんな手がありますから、慎重に取捨選択してほしいと思います。
木村 はい、困ったときは相談させてください。
漁業支援によるソマリアへの貢献
牟田 それと最近、たびたびアフリカのソマリアに行かれているようですが…
木村 ソマリア沖はキハダマグロの好漁場です。しかしご承知のとおり、ソアリア沖は海賊がたびたび出没する大変危険な海域です。ソマリアに行き、いろんな方々に話を聞きましたが、ソマリアには仕事が少なく、貧困のせいで海賊になる若者が多いということです。日本政府はODAでソマリアに魚を保存するための冷蔵庫をつくりましたが、見に行くとモヌケのカラです。なぜなら、ソマリア人は魚を食べないのです。もったいない話です。そこでわたしはソマリアの新政府に、民間による漁業支援を申し出ました。隣のジブチ共和国とも漁業分野の合意書を交わし、日本にマグロを安定的に供給するルートを確保するとともに、ソマリアの若者の雇用を増やし、海賊を減らすことにも協力できるのではないかと思ってやってます。実際のところ、おととし海賊による被害が300件あったものが、去年は10件にまで減りました。
牟田 それはすごい、木村社長は本当にヒトが大好きで、世界中どこへでも出かけていく行動派ですね。ますますのご活躍とご成功を祈ってます。(対談日時 2014年1月15日)
株式会社 喜代村:1979年創業、寿司チェーン店
「すしざんまい」を全国展開し、現在53店舗、売上220億円。「入りやすい」「食べやすい」
「高い質の接客」の三拍子揃った経営で行列が絶えない。すし職人を養成する喜代村塾を運営。
本社:東京都中央区。ホームページ:http://www.kiyomura.co.jp/