地域課題の解決をめぐっては、各地でさまざまな取り組みがみられます。自治体と事業者が一緒に活動を進める官民連携プロジェクトなども盛んですね。
私、そうした案件の取材を続けてきましたが、ひとつ感じることは「1人からでも始められることがある」という事実です。もう少し言いますと「1人から始められることがあり、同時に、1人だけではできないこともある」。たった1人の取り組みが次第に反響を呼び、周囲の人が振り向くことによって、その取り組みの輪が思いがけず広がって大きな効果を生む、という話です。
今回お伝えするのは、まさにそんな事例ではないかと思います。

クラフトビールの醸造所(ブルワリー)の話です。えっ、クラフトビールのブルワリーなんて、もう全国各地にあっていまさらの話? と思われるかもしれませんね。実際、昨年時点で 日本国内にはクラフトビールのブルワリーが900以上あるといわれています(この900という数字をちょっと覚えておいてください。原稿の後半でもう一度触れます)。
お伝えしたいのは、石見麦酒という小さなブルワリーの取り組みです。島根県江津市に波子(はし)駅というJR山陰本線の無人駅があるのですが、石見麦酒はその無人駅の駅舎を生産拠点としています。無人駅がブルワリーとなるのは、国内で初めてのことだそうです。
ただ、私がお伝えしたいのは、その珍しさという事実ではなくて、石見麦酒が編み出した醸造法にあります。
クラフトビールのブルワリーを新たに立ち上げるには、1基で100万円はする金属製の大きなタンクを揃えないといけないというのが一般的です。初期費用が相応にかかるわけです。
ご夫婦で営む石見麦酒が考案した醸造法は、金属タンクを使わず、約2万円の小型フリーザーと、1つ150円のポリ袋を使うというものです。ポリ袋ですよ。これなら極めて安価にブルワリーを立ち上げ、存続させることができます。

そう聞くと、疑問を覚える方もいらっしゃると思います。まずはその味。私が飲んだ限り、文句なしに美味しい。原材料の風味をしっかりと感じさせますし、柑橘を加えたビールがもつバランスの妙にも惹かれます。
次の疑問は生産性でしょうか。小さなポリ袋でビールを醸していては効率があまりに悪いのではないか、と…。その点を石見麦酒の代表に尋ねると「実は真逆で、効率はいいんです」といいます。どういうことか。「ブルワリーを運営するうえで時間や手間を大きく割かれるのはタンクの洗浄ですから」というのがその理由です。石見麦酒の醸造法であればタンク洗浄という工程がないわけですね。だからむしろ効率的であるし、また、他の事業者に向けたOEM生産でも小ロットから受けられるという利点も生まれます。

この画期的な手法は、いつしか業界内で「石見式醸造法」と呼ばれ、注目を浴び始めます。では、石見麦酒はそうした状況下でどう動いたか。
この醸造法をめぐる知的財産権を一切取得しない判断をくだします。「ここ波子駅のブルワリーまで足を運んでくれる人には、この醸造法のすべてを教えます」という方針を掲げました。
なぜか。過疎の地域である波子の関係人口を増やしたいという一念であったといいます。この地を本拠とする石見麦酒にとって、それは地域への恩返しのようなものであったのでしょう。
そして結果は…。石見式醸造法を学びに訪れる業界関係者は多く、現時点で石見麦酒がサポートする国内のブルワリーは100を超えたといいます。先ほど私は、現在のクラフトビールのブルワリーは900余りとお伝えしていましたね。つまり、国内のクラフトビールのブルワリーの実に1割強が、石見麦酒と繋がっているという計算になります。これは見事な話と感じさせます。
さらに昨年は、インド、フィリピン、韓国、中国の業界関係者も石見麦酒にアドバイスを求めてきたといいます。山陰の無人駅が国内ばかりか海外ともつながったということです。
1人から始められることがある。改めて私はそう感じ入りました。























