映画『国宝』に関する現象の勢いが衰えない。周知の方も多いとは思うが、この作品は2025年6月に吉沢亮(1994~)、横浜流星(1996~)の人気俳優のダブル主演で公開された。公開わずか半年後には、それまでの実写邦画興行収入で1位の座にあった『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ』の記録を22年ぶりに塗り替え、1位の座を獲得した。のみならず、2026年現在、台湾、香港、韓国などの近隣諸国はもとより、オーストラリア、フランス、イスラエル、スウェーデン、アメリカ、カナダ、ブラジル、ドイツ、イギリスなど、世界で50以上の地域と国で公開されている。
私は当初、この映画を観るつもりはなかった。先入観があったわけではないが、歌舞伎の世界の映画化は難しいだろうというのが正直な感想だった。しかし、思わぬ「外圧」で観ることになった。外圧とは大袈裟だが、同級生たちが会社の定年を過ぎ、暇になって映画や芝居、コンサートなどに出掛け始め、その数人が「あの『国宝』は、歌舞伎の側から観るとどうなんだ。それを教えてほしい」という意見だ。私は演劇の批評家ではあるが「歌舞伎の側」ではない。しかし、友人たちの気持ちもわかるので、3時間に及ぶ大作に挑戦した。
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未見の方もおられるだろうから、細かなことは書かないが、世間では「門閥制度」「世襲」とされている歌舞伎の世界で、門閥でも御曹司でもない若者が、名門の御曹司との間でライバルとして、越え難い壁を挟みながらも友情を育み、挫折や絶望を味わい、芸の階段を上る、という話だ。
「歌舞伎的」に観れば、いわゆるツッコミどころは多々ある。しかし、それをあげつらったところでさして意味はない。歌舞伎の映画が観たければ、歌舞伎俳優が演じるのが一番に決まっているのだから。それよりも、久しぶりに丁寧に時間を掛け、ロケーションをした邦画を観た、との感慨があった。聞けば、主役の二人は、一年以上の歌舞伎舞踊や歌舞伎のシーンの猛稽古を乗り越えて撮影に臨んだとのこと。テレビにせよ映画にせよ、お手軽な作品ばかりが並んでいるこの時代に、こうした若い俳優陣をはじめ、共演者、スタッフなどにも感心した。
難しいのは、歌舞伎界の内幕をすべて描くスタンスを取るとただの「暴露もの」になってしまう点で、この作品は同名の原作小説があり、それを映画化したものだ。作者の吉田修一は、小説の執筆に際して歌舞伎の中村鴈治郎の付き人として通い、歌舞伎の素材を集めたと聞いた。どんな世界でも、その根幹を知ろうとするには大変な努力がいるものだ。
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この映画の大ヒットにより、歌舞伎をめぐる幾つかの興味深い現象が起きた。『国宝』は、興行会社としては松竹のライバルである東宝が製作した映画だ。歌舞伎は松竹がほぼ100%を占めており、東宝に歌舞伎はない。だからこそ、柵に囚われることなく、作品ができたのだろう。その結果、私の友人ではないが、「本物の歌舞伎はどうなんだろう」という興味を抱く人が増え、歌舞伎座のチケットが、時に入手困難なほどに観客が詰め掛けた。長年、歌舞伎を観続けている眼からすると「今月は顔ぶれも演目も少し地味だなぁ」と思う公演が満員でチケットがなかったりしたことも一度や二度ではない。これは、明らかに「国宝効果」だ。
もう一点は、一般家庭から歌舞伎の世界に入り、懸命に頑張っている若手の歌舞伎俳優にスポットが当たり、人気になったことだ。中には不祥事を起こした例もあったが、生まれ付いてのスター以外にスポットが当たるのは、歌舞伎にとっては好ましいことで、映画がもたらした二次効果である。願わくは、これが一過性のブームで終わらないことを祈りたい。
多くの人が称賛しているのでくどくは繰り返さないが、主演の二人は、歌舞伎役者に肉薄するための努力をよくしたものだと感心する。歌舞伎役者の通りにできないのは当然の話で、そこを比べては可哀想だろう。
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歌舞伎の御曹司はとかく別扱い、と世間では捉えており、そうした部分があることは否定しない。しかし、その一方、5つや6つという遊びたい盛りから、芝居、踊り、長唄をはじめとした音曲の稽古に通い、時には学校を早退して毎月25日に近い舞台に立つという歳月を繰り返し、大人になるのだ。30年の舞台経験を持つ俳優でも、若手からようやく中堅どころといった扱いで、トップの世代ともなれば80代が活躍をしている世界だ。普通の会社などの組織で考えれば、勤続30年ならベテランで、何らかの役職に就いている人も多いだろうし、まかり間違えば社長になっているかもしれない。「時間軸」の物差しが、世間とは違う世界なのだ。
これは、歌舞伎に限ったことではなく、「古典」、「伝統文化」と呼ばれるものは同じで、茶道、華道、日本舞踊、各種の工芸など、多くの分野に通じる傾向だ。一般的には、年齢を重ね、身体がそれ相応の衰えを見せ始めれば、その仕事における「ゴール」を考えるものだ。しかし、生の舞台の不思議なところは、年齢を重ねたからこそ滲み出て、香り立つ味わいがある。多くの俳優が「一生修行」と口にするのも、それが身体に沁みついているからだろう。
今更ながら、一本の映画でも一冊の本でも、そこから考えるべきことは多く、幅も広い。私にとって『国宝』は、世間が歌舞伎をどんな眼差しや感覚で観ているのかを改めて教えてくれる映画であった。毎月、歌舞伎座へ通って麻痺してしまった感覚に、新たなヒントをくれたとも言える。観る側も、時として一生勉強なのだ。















