私は、今から21年前、1989年に日本に来日。以来、三井物産戦略研究所中国経済センター長などを歴任、中国と日本の政治・経済・歴史の分析、さらにはビジネスのかけ橋となるべく行動して参りました。
今回より、この経営コラムにて、毎月、中小企業経営者の皆様に、是非、知っておいてほしい、中国経済の現状や国民性さらには、時代背景を、わかりやすく申し上げたい。どうぞ、皆様、よろしくお願いいたします。
さて、第一回目は、鳩山首相のリーダーシップの欠如がしばしばマスコミに指摘されるが、リーダーシップとはいったい何か?ベルリンの壁の崩壊後、当時の中国最高実力者トウショウヘイ氏の決断を実例に説明してみたい。
私が、永住する形で中国から来日したのは、天安門事件の発生とベルリンの壁の崩壊の年である1989年のことだ。
当時、中国の経済規模は、日本の9分の1で、アメリカの15分の1だった。ところが、20年後の09年、中国の名目GDPは5兆ドル弱で、日本(5兆ドル強)の96%となり、アメリカの3分の1強に相当する。
今年は中国のGDPが日本を追い抜くことはほぼ確実とみられる。僅か20年の時間で、中国は一躍して世界第二位の経済大国となることは、私が日本に移住した89年に想像すらしていなかった。
なぜベルリンの壁崩壊後、旧ソ連をはじめ欧州の社会主義諸国が相次いで崩壊したが、同じ社会主義国の中国が崩壊せず、急速に台頭してきたのか。理由はまさにトウショウヘイ氏のリーダーシップにあると思う。
89年の天安門事件とベルリンの壁崩壊以降、中国は未曾有の危機に直面し、中央執行部も迷っていました。「左派」と呼ばれる共産主義原理主義者たちは、社会主義の道を堅持し、共産主義教育キャンペーンを行い、国民のマインドをコントロールするべきだという意見だった。
当時、すでに北京は共産主義教育キャンペーン一色であり、改革・開放政策でさえ否定する動きが活発化していた。
周知のとおり、1978年から改革・開放政策を導入したのは、正に当時の最高実力者のトウショウヘイ氏の決断によるものである。彼は改革・開放を否定する「左派」の言動に怒っていて、北京を抜け出し、南へ向かった。
時は92年春のこと。中国の真ん中にある武漢で、トウ氏は地方の行政、党、軍隊それぞれのトップを集めて、中国の生き残る道は改革・開放だけであり、改革開放をしないと中国は死ぬしか道がないという談話を発表した。
トウ氏はさらに南に向かい、広東省に入る。広東省は中国の開放政策を一番先に行った場所で、当時の経済特区4つのうち3つがある。この広東省でトウ氏は再び行政、党、軍隊のそれぞれのトップを集めて、改革を加速し開放を拡大させるという談話を発表した。
「改革・開放しないやつは辞めてもらいたい」という強烈なメッセージも地方のトップたちを通じて北京に伝えた。
当時の北京中央執行部のトップは江沢民氏で、まだ中国の進路に迷っていたのだが、?氏のメッセージを伝わると、彼は慌ててトウ氏のもとに側近を送り、トウ氏の南方談話をまとめ「中央文件」の形で党内に伝達した。
この談話の中では、社会主義市場経済という概念を提出するもので、常識を覆す発想のものだった。社会主義は計画経済で、資本主義は市場経済だ。
この二つは水と油の関係にあるというのが、当時の常識だったが、トウ氏はこの常識を覆し、社会主義イコール計画経済ではなく、社会主義の国にも市場はある し、資本主義イコール市場経済でもなく、資本主義の国にも計画はあるし、そこで中国は社会主義市場経済を導入すべきだと?氏は話している。
そして92年の秋、党の代表大会が開催され、トウ氏の大号令のもとで社会主義市場経済を導入する党の決議案が採択された。
人事面では共産主義イデオロギーにこだわる左派たちが一掃され、朱鎔基氏のような改革派が中央執行部に入った。その後、中国経済は成長軌道に乗り、09年まで年平均10%前後の高度成長が持続してきた。
90年代、香港の華人財閥が?氏に中国経済の成功の理由を聞いた時、トウ氏は「実は、私は資本主義を学んで社会主義をよくした」と答える。資本主義の手法を導入して、硬直化した社会主義制度を是正したということである。
日本経営合理化協会の会員は経営者の方が多く、皆さんに怒られるかも知れないが、リーダーシップは平時にはいらないのである。
しかし、組織が揺らぐ時、リーダーシップが必要になり、リーダーの正しい判断・決断が迫られる。トウ氏の行動はこの例で、もしトウ氏のリーダーシップが発揮せず、正しく決断しなければ、いまの中国はない。
かつて社会主義の危機には資本主義的な手法が有効だが、いまは違う。米国発金融危機の本質はマネーゲームに奔走する金融資本主義の危機で、米国やヨーロッパのリーダーは、大規模な公共投資や銀行への公的資金注入といった社会主義的な手法で乗り越えようとしている。
要するに、社会主義であろう、資本主義であろう、自浄能力がなければ、歴史に淘汰される恐れがある。これが歴史の教訓なのだ。