日本は世界に冠たる「温泉大国」で、コロナに苦しむ昨今は海外からの観光客の姿を見ることはほとんどないが、多くの外国人が日本の「温泉」に魅力を感じている。大雑把に言えば、日本列島がまるごと海底火山の上に乗っかっているようなもので、だからこそ、豊富な天然温泉の恩恵に浴することができるのだが、一方は「噴火」の危険とも隣り合わせであり、物事、何でもいいところだけを頂くわけには行かないようだ。
世界中を混乱に陥れ、人々の生活形態をすっかり様変わりさせた今回の「新型コロナウイルス」騒動でも、日本人がいかに綺麗好きで衛生的な暮らしを当たり前にしているかは、多くの研究者の間で話題になった。よく言われるように、ヨーロッパでの香水の発達は、さまざまな不衛生から来る悪臭除去のための目的もあったが、そうした一面だけではなく、湿気が多く、地域によっては空っ風で砂埃の多い日本では、「身体をさっぱり」することの必然性は、他の国々よりも高かった歴史もある。
そうした風土を持つ国で、泉質は違えども、あちこちで自然に清冽なお湯が沸いていれば、好まない人はいないだろう。日本の昔話や歴史上のエピソードに、怪我をした動物が温泉で傷を癒した、あるいは戦国武将が戦いの傷を癒したという伝説に事欠かないのは、この辺りが原因だろう。
ヨーロッパを中心に、海外では長期にわたるバカンスが当たり前で、日本人は休みの取り方を知らない、あるいは下手だとはよく耳にする話だ。しかし、これも見方を変えればそうとばかりも言えない。かつて、第一次産業が国の基幹であった時代には、農家を中心に「湯治」の習慣があり、今も形を変えながら続いている。連日の肉体労働で酷使した身体を農閑期にメンテナンスするべく、一週間から半月ほど温泉に出掛ける。決して贅沢三昧の料理を並べるわけではなく、あくまでも「お湯で身体を癒す」のが目的であり、食材を持ち寄って自炊をしながら、身体を休め、労わり、次の過酷な労働に備えるのだ。基本的に、湯治は温泉に行った日数と同期間、身体を休めるように言われている。一週間温泉に浸かり、そこでほぐれた凝りや疲れは「湯疲れ」となる。帰宅して家でのんびりゴロゴロ過ごす一週間もまた、湯治の仕上げの期間なのだ。
時間のない現代では、一泊二日、二泊三日の温泉旅行がせいぜいだが、場合によっては疲れに行くようなケースもある。しかし、たとえ一泊でも「転地療養」によるリフレッシュの効果は医学的に認められている。
温泉に限ったことではないが、お風呂では「裸の付き合い」となる。今は温泉地でも「湯あみ衣」などがあるようだが、大きな湯舟に浸かり、手足を伸ばし、思わず「ウーィ」と声が出てしまう気持ち良さは、家では味わいがたいものだ。心も身体もほぐれた温泉場では、偶然一緒になった人との会話も弾む。湯舟に浸かって世間話をしている間は、社長であろうが入社二年目であろうが、資産の多さも何も関係ない対等の人間である。そこでの会話が「袖すり合うも多生の縁」となる可能性もある。
たまには仕事にまつわる一切合切を放り出し、たとえ一泊でも、温泉で気分転換をするのは悪くない。欲を言えば、そこでは一切仕事のことなど考えず、風邪か二日酔いなどで布団を被っている時と同じように、仕事のことは頭から追い出さないと、せっかくの温泉も効果半減となる次第。
私のように物を書く仕事でも、滅多にないケースだが、数百ページの本の最後の仕上げや校正で、何度か鄙びた山の宿に数日籠もりっきりで仕事をした経験がある。出掛ける前は「昔の文豪のようだ!」と楽しみ半分もあったが、行ってみれば校正紙の束と格闘しながら慌ただしく温泉に浸かり、食事もそこそこで、「湯上りに一杯♪」どころではなく、温泉や料理、宿の様子、辺りの風景など、ほとんど覚えていない。これでは、温泉に行った甲斐もないというものだ。同時に、二、三日温泉に籠もって仕事をしたところで、そう一気に仕事が片付くものではなく、近隣のビジネスホテルへでも籠もった方が、往復の移動時間を考えれば遥かに仕事は進む。これは、私が大枚をはたいて経験した結果であり、信用していただいていいと思う。
リーダーたるもの、私のように温泉でも少し仕事を、などとみみっちいことを考えず、人一倍働く時は働き、休む時はきっちり休むべきだろう。「温泉と文豪」のイメージに憧れる程度では、まだまだだと悟って以降は、時間を気にせず、のんびりと「閑を楽しむ」ように考えを変えた。以降、温泉へ行くと少し元気になるような気がする。
部下に行き先と日程だけを伝え、携帯電話がなかった時代に感覚を戻し、携帯を家に置いて出るか、持っていてもスイッチを切ってしまう。二、三日連絡が付かなかったところで、富士山が爆発でもしない限りは大丈夫なはずだ。こうして社長が温泉に出掛け、パワーアップ、デトックスする効果は大きい。社長が留守の間、社員も「鬼の居ぬ間」に気分転換ができるという副次的効果も見逃せないところではある。たまには姿を消すのも、リーダーの粋な計らいだろう。