集中と展開(北ベトナムの戦略)
圧倒的に物量に勝る米軍を相手に北ベトナム軍司令官のボー・グエン・ザップが採用したのは巧みな「集中と展開」の戦略だった。これによって敵兵力を分散させて自軍の兵の消耗を最小化し、他地域での解放勢力の同時蜂起・攻勢を成功させ米軍の大兵力を翻弄した。
1968年1月、北ベトナム軍2万人は、南北軍事境界線とラオス国境近くに米軍が設営したケサン基地への包囲網を築き砲撃を強化する。米軍司令官のウエストモーランドは慌てる。フランスがベトナムに敗れるきっかけとなったディエンビエンフーの戦いを想起したからだ。1954年、ボー・グエン・ザップは、同地にフランス軍が築いた強固な要塞を包囲して砲撃と突撃を繰り返し、二か月にわたる戦いの末、フランス軍は降伏した。ウエストモーランドはその再現を恐れた。同時にこれまで見えない敵に手を焼いていた彼は、米軍得意の正面戦で敵主力を撃破するチャンスとみて、南ベトナム各地に分散していた精強の海兵隊の連隊を僻地にあるケサンに集中し防御と反撃の態勢をとる。
徐々に包囲網を縮小する北ベトナム軍に対して、米軍部隊はその場を離れられなくなった。陸軍を含めてベトナムに派兵されていた9個師団の半数が周辺地域にひききつけられた。
テト攻勢の狙い
だが、ボー・グエン・ザップの狙いは別なところにあった。1月30日、テト(旧正月)休暇中のサイゴンをはじめ、南ベトナムの100を超える都市で、北ベトナム軍と民族解放戦線が一斉に蜂起し、行政機能を二ヶ月以上にわたり奪取し「南ベトナム政府打倒」を訴えた。。サイゴンでは、米国大使館も占拠されることになる。
テト攻勢は77日間におよび、米軍は分散された兵力で、各都市から解放勢力を駆逐し、治安をようやく回復した。
アメリカのジョンソン政権と米軍は、「共産勢力を撃退した勝利」を宣伝したが、それまで「南ベトナムは完全に掌握されており、戦争勝利は近い」との主張は無惨に打ち砕かれた。
テト攻勢が終了すると、ケサン基地を包囲していた北ベトナム軍部隊は、ラオス国境を越えて姿を消した。彼らにとって当初からケサンの戦略的重要性はなかった。テト攻勢のための陽動作戦だったのだ。
敵の世論を動かし世界世論に訴える
「各都市で一斉蜂起し、南ベトナム政府を一気に瓦解させる」という、当初北ベトナム政府が思い描いたテト攻勢の目的は失敗に終わった。しかし、この攻勢がベトナム戦争の終結、米軍撤退に向けた重要な転機になったのは間違いない。米国の国民世論が動いたのである。連日テレビ中継と新聞報道で伝えられる戦いの現場の様子が、米国民の反戦ムードを一気に高める。
パリ、東京、ロンドンでも、学生たちを中心に、ベトナム反戦デモが一気に盛り上がる。北ベトナム政府も外交ルートを通じて各国に、戦場での米軍兵士の残虐行為、北爆での民間施設への誤爆の非道性を訴える。今回のイラン事態でも、米国大統領トランプが勇ましい言葉とは裏腹に、大規模な空爆再開を躊躇するのは、多くの子どもが死傷した米軍機によるイランの小学校への誤爆への国際世論の反発だ。
圧倒的武力に対抗する非対称戦では、敵と世界の世論を味方につけることが重要となる。
この年の3月31日、米国大統領ジョンソンは、秋の次期大統領選挙への不出馬と北爆の縮小を声明する。次期大統領選に共和党から出馬したニクソンは、米軍の段階的撤退を公約して当選した。
(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』松岡完著 中公新書
『戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』野中郁次郎ら共著 日経ビジネス人文庫




















