暴かれた国防総省の嘘
ケネディ、ジョンソン政権下でベトナム戦争を指導した国防相のロバート・マクナマラだったが、得意の統計学に基づくボディ・カウント(敵味方の戦死者の比較)理論では、両軍の死者数比較では10:1の勝利値を優に超えているにも関わらず、戦況はこう着状態、むしろゲリラ戦に手こずり押されていた。
「勝利は間近だ」と繰り返す国防総省の発表に対して国民の不信は増幅されていく。米国内では反戦ムードが高まり、若者たちの徴兵忌避が社会問題化する。ベトナムでは戦線を離脱する脱走兵も相次いだ。
マクナマラに自信を喪失させる決定打は、1968年1月に北ベトナム側が南ベトナム各地で一斉に蜂起したテト(旧正月)攻勢だった。米軍と南ベトナム軍は敵を撃退して、軍事的には勝利したが、北ベトナム側の戦意は衰えず苦境は続く。「発表の威勢はいいが、戦争はいつ終わるのか」と国内メディアの追及の矢面に立たされたマクナマラは、同年2月末、辞職に追い込まれた。統計第一主義の敗北だった。
さらに彼の退任後、ベトナム戦争に関する機密文書が暴露されて、国防総省がつき続けた数々の嘘が明るみに出る。軍事境界線を越えた北爆開始の口実となった北ベトナムによる航海上での米海軍駆逐艦への攻撃(トンキン湾事件)には実態がなかった。さらに軍事施設に限定していたはずの北爆も、実態は無差別じゅうたん爆撃で、死傷者の80%が民間人だったことも明るみに出た。
マクナマラの反省
マクナマラは、回顧録の中で、早い段階でケネディにベトナムからの撤兵を進言したが、1963年11月の同大統領の暗殺で実現できなかったこと、また、後継大統領のジョンソンへの撤兵要請は拒否されたことを言い訳にしているが、身を賭して撤兵、停戦に動いた形跡はない。
その上で、「21世紀のアメリカのために」として、ベトナム戦争に関する教訓を書き残している。要点を挙げておく。
1、われわれは共産側の行動が米国に及ぼす影響を過大に評価していた。
2、われわれが守ろうとした南ベトナム政治勢力に自由と民主主義への渇望と、その獲得のために戦う決意があると誤解していた。
3、信念と価値観のために死ぬ覚悟を厭わない(北ベトナムの)ナショナリズムを過小評価していた。
4、地域に住む人々の歴史、文化、政治にあまりに無知だった。
5、強い動機を持ち戦う人々に対して、米国の持つ近代的なハイテクな軍備、組織、軍事思想の限界を認識していなかった。
6、開戦前に、議会、国民と十分な論議をしてこなかった。
7、国民に戦争の意味を十分に説明してこなかったので、予想外の事態に直面して国民の支持を繋ぎ止められなかった。
8、全ての国家を米国のイメージや好みで作り上げる権利など米国にはない。
悲しいことかな、米国は今、イラク事態で同じ轍を踏みつつある。
ボー・グエン・ザップの信念
政権末期の大統領ジョンソンは、勝利をあきらめ北爆を停止する。後継のニクソン政権は段階的撤兵に踏みきり、1973年米軍は撤退を完了した。1975年サイゴンが陥落して戦争は終結した。
国防長官を退いたマクナマラは世界銀行総裁に就任して、ベトナム戦争について沈黙を守ったが、1995年11月、ベトナムの首都ハノイを訪問し、仇敵の北ベトナム軍総司令官だったボー・グエン・ザップの歓待を受けた。会談の映像がある。マクナマラは粘り強い非対称戦を指揮し勝利した老将軍に尋ねる。
「あれほどの犠牲者を出しながら、なぜあなたは停戦交渉に応じなかったのか」。ボー・グエン・ザップは恩讐を超えて晴れやかに答える。
「我々の長い闘争の目的は、祖国の独立、統一だった。たとえ戦いが100年続いても、国民が一丸となって戦い抜く決意を固めていた」。
戦争での米兵の犠牲者は約6万人、ベトナム人犠牲者は300万人を超える。1対50。ベトナム戦争の帰結は、米国が立てた統計による勝利見通しを遥かに超えていた。
冷戦終結後、ドイモイ(刷新運動)に取り組み、資本主義化したベトナムは、経済発展を続けている。(この項、終わり)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』松岡完著 中公新書
『マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓』ロバート・M・マクナマラ著 仲晃訳 共同通信社
『愛国とは何か ヴェトナム戦争回顧録を読む』ヴォー・グエン・ザップ著 古川久雄訳・解題 京都大学学術出版会


















