2013年6月22日、世界文化遺産への登録が決定してからというもの、
富士山フィーバーがとどまるところを知らない勢いだ。
決定後、例年になく登山者や観光客が急増している。
7月1日の山開きから10日間の登山者の数は約2万人に上り、昨年よりも約3割も増えた。
徹夜で登頂し、ご来光を拝んでそのまま下る、いわゆる「弾丸登山」は、前年比1.8倍にも増加。
(※「弾丸登山」は危険だと自治体は自粛を呼びかけている)
この夏の静岡県・山梨県内のホテルや旅館の宿泊予約客やお土産店の客数も、
おおむね例年の1割~3割伸びている。
週末ともなると午前中から、富士山5合目に通じる有料道路「富士スバルライン」は
観光バスや乗用車で渋滞している。
5合目の駐車場では満車状態が続き、入場規制がかかるほどだ。
富士山人気にあやかろうと、各地で富士山ツアーや富士山グッズの発売が相次ぎ、
富士山を望むホテルや旅館のPR合戦、マンションや別荘の販売合戦がヒートアップしている。
観光客の増加による地域環境の悪化など課題はあるものの、日本のシンボルである富士山ならずとも、
ことほど左様に、観光関連産業にとって、「世界遺産効果」は絶大だ。
自治体や観光業者が中心となった各地の「世界遺産」誘致に力が入るのも当然のこと。
世界遺産登録が現実味を帯びて来ると、登録前後から急に観光客が増え、
週末や休日には長蛇の列ができてしまう。
富士山の入山料についての議論も高まっているが、登録後は入場者を制限し遺産を保護するために、
見学に費用がかかるようになったり、値上げされることもある。
何事も先んずれば人を制す。富士山の次の「世界遺産」候補地を訪れるならば今の内だ。
また、ツアーやグッズの商品造成はもとより、土産物店やホテル・旅館の開業、
マンションや別荘の企画・販売といった関連するビジネスの仕込みを行なうにも
早いに越したことはない。
さあ、全国各地の「世界遺産」推薦待ちエリアを先取りしよう!
※ビジネスへの投資に関しては自己責任でお願いします。筆者および日本経営合理化協会は一切責任を負えません。
※また、世界遺産は観光やビジネスを目的として登録されるわけではありません。節度を持って行動しましょう。
◆そもそも「世界遺産」とは何なのか?
「世界遺産」(World Heritage)を認定し、人類共通の財産として保護し、後世に伝えて行こうという考え方は、
1960年代、エジプトのナイル川に建設予定だったアスワン・ハイ・ダムによって
水没の危機にさらされていたアブシンベル神殿などヌビア遺跡群を、
ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界に呼びかけて、約60カ国もの国々が協力したことで、
無事に移築し保護されたことから生まれた。
これがきっかけとなり、開発から歴史的に価値のある遺跡や建築物、自然などを国際的に守ろうという機運が高まり、
1972年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、
「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が満場一致で採択された。
1975年12月17日に20カ国が条約を締結し、正式に発効した。
日本は1992年に125番目の批准国となった。現在、世界遺産条約の批准国は190カ国ある。
世界遺産は以下の3種類に分類されている。
・人類の歴史によって生み出され受け継がれてきた遺跡や建築物などの「文化遺産」
・地球の生成によって生み出されてきた自然景観や地形・地質、生物多様性、生態系などの自然遺産
・文化遺産と自然遺産双方の価値を持つ複合遺産
世界遺産リストには981件が登録されている。(2013年6月現在)
内訳は、文化遺産が759件、自然遺産が193件、複合遺産が29件だ。
世界遺産を保有する国と地域は約160にのぼる。
国別では、1位:イタリア49(文化遺産45・自然遺産4)、2位:中国45(文化遺産31・自然遺産10・複合遺産4)、
3位:スペイン42(文化遺産38・自然遺産2・複合遺産2)、4位:フランス38(文化遺産34・自然遺産3・複合遺産1)、
5位:ドイツ38(文化遺産35・自然遺産3)となっている。
その後、メキシコ30、インド29、イギリス27、ロシア25、アメリカ21、ブラジル19、オーストラリア19、
ギリシャ17と続き、日本はカナダと並んで17件あり13位だ。
世界遺産には価値を継承するという意味合いがあり、世界遺産の多くは現在の生活に関わりを持っている。
つまり、世界遺産とは、博物館に眠る遺物ではなく、時代を超えて継承されてきた現代に息づく遺産なのだ。
世界各地のさまざまな世界遺産に接して学ぶことによって、国境、民族、宗教を越えた文化や自然を
知ることができる。
そして、世界遺産を保護し、後世に伝えていく過程で異なる文明同士の対話による相互理解が生まれる。
世界遺産を通じた相互理解こそが、人の心の中に平和の砦を築くのだ。
ユネスコ憲章(前文)
「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
◆現在、日本にある世界遺産
日本には、2013年6月現在、以下の17件の世界遺産(文化遺産13件、自然遺産4件)がある。
○文化遺産
法隆寺地域の仏教建造物(1993年12月)
姫路城(1993年12月)
古都京都の文化財(1994年12月)
白川郷・五箇山の合掌造り集落(1995年12月)
原爆ドーム(1996年12月)
厳島神社(1996年12月)
古都奈良の文化財(1998年12月)
日光の社寺(1999年12月)
琉球王国のグスク及び関連遺産群(2000年12月)
紀伊山地の霊場と参詣道(2004年7月)
石見銀山遺跡とその文化的景観(2007年6月)
平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(2011年6月)
富士山―信仰の対象と芸術の源泉(2013年6月)
○自然遺産
屋久島(1993年12月)
白神山地(1993年12月)
知床(2005年7月)
小笠原諸島(2011年6月)
◆どうすれば世界遺産に登録できるのか?
世界遺産に登録するためには以下の手続きを踏まねばならない。
まず、文化遺産の場合は文化庁、自然遺産の場合は環境省か林野庁に届け出、国の審査で認可を得る。
国が登録を目指す「暫定リスト」として、事前にユネスコ世界遺産センターに提出する。
これを「暫定リスト掲載」と呼ぶ。
そして、「暫定リスト」の中から条件の整った案件をユネスコに推薦する。
しかし、ひとつの国が推薦できるのは1年に1件だけだ。(文化遺産と自然遺産の各1件は可)
推薦を受けて、ユネスコ世界遺産センターが現地調査を行なう。
文化遺産は ICOMOS(国際記念物遺跡会議)、自然遺産は IUCN (国際自然保護連合)が調査する。
そして、年1回開催されるユネスコ世界遺産委員会において、ICOMOS、IUCN 及び
ICCROM(文化財の保存及び修復の研究のための国際センター)の代表を交えて審査し、
登録の可否が決定される。
登録に至る道は狭き門だ。推薦を受けても6~7割しか登録されない。
◆富士山の次の有力候補はどこか?
日本には、2013年6月現在、以下の13件(文化遺産11件、自然遺産1件)が「暫定リスト」入りしている。
○文化遺産(12)
武家の古都・鎌倉(神奈川県)
彦根城(滋賀県)
富岡製糸場と絹産業遺跡群(群馬県)
飛鳥・藤原の宮都と関連資産群(奈良県)
長崎の教会群とキリスト教関連遺産(長崎県)
国立西洋美術館・本館(東京都)
北海道・北東北の縄文遺跡群(北海道、青森県、秋田県、岩手県)
宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡県)
九州・山口の近代化産業遺産群(山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県)
金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(新潟県)
百舌鳥・古市古墳群(大阪府)
平泉の文化遺産-拡張登録(岩手県)
○自然遺産(1)
奄美・琉球(鹿児島県、沖縄県)
ここから準備が整ったものが国からユネスコに推薦される。
中でも、既に推薦され2014年の世界遺産委員会で登録の可否が審議されることになっているのが、
「富岡製糸場と絹産業遺跡群」だ。
そして、2015年には、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」や「九州・山口の近代化産業遺産群」 などが
有力視されている。
◆「富岡製糸場と絹産業遺産群」
日本の文明開化の先駆けとなった、群馬県富岡市にある「富岡製糸場」の名は誰しも聞いたことがあるだろう。
明治新政府は、「殖産興業」を旗印に、高級絹製品の素材である生糸を外国に大量輸出する政策を取った。
そのための拠点として、明治5年(1872年)、日本初の大規模工場、「富岡製糸場」が設立された。
当時、世界の最先端だったフランスから最新式の機械と技術を導入。
全国から集まった工女が生産に勤しみ、その技術を学んだ。
「富岡製糸場」の生糸の大量生産は、養蚕・製糸・織物にかかわる一連の絹産業を発展させ、
群馬県を日本有数の絹産業の中心地にした。
その後、各地に製糸場が造られると、彼女達が地元に戻って指導者となり良質な生糸の大量生産が
各地で進んだため、1920年代には日本は生糸の輸出量で世界一となった。
養蚕技術の革新を行ない、安価で良質な生糸を輸出。
欧米をはじめ世界中で、高級繊維だった絹を身近な存在に変えた。
戦後は、生糸生産のオートメーション化にも成功し、絹の大衆化に貢献。世界の絹産業を支え続けた。
その後、中国産の安価な製品に押され、日本の製糸業は衰退して行き、
1987年(昭和62年)に操業を停止するに至った。
しかし、建物の歴史価値を認め、往時の状態のまま保存して来たのだ。
この製糸場をはじめ、繭を生産した養蚕農家群、自然の冷気を利用して蚕種(繭の卵)を保存した風穴などの
絹産業遺産が良好な状態で遺されている。
世界遺産への登録を目指すのは、「富岡製糸場」、「田島弥平旧宅」(たじまやへいきゅうたく)、
世界遺産に登録されている近代産業遺産は、イギリスの「アイアンブリッジ」、「フランス王立製塩所」、
インドの「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」などがあるが、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が登録されれば、
わが国初の近代産業遺産となる。
首尾よく、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に認定されると、「九州・山口の近代化産業遺産群」 は、
内容は異なるものの、時代背景や産業遺跡であることなどが似通ってしまう。
世界中に約160もある条約批准国の中で、同じ日本から推薦して理解を得やすいのは
異なる背景のものであろうと思われる。
◆「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
そんな中で、次に日本からの推薦の最有力候補と目されているのが「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」だ。
下村博文文部科学相も「世界遺産にふさわしく、最も有力な候補」との認識を示している。
「長崎の教会群」は、2013年の夏に開催される国の文化審議会での推薦を得て、
世界宗教史上の奇跡といわれる「信徒発見」から150周年を迎える2015年の登録を目指している。
以下、「信徒発見」のあらましだ。
1550年、現在の長崎県の平戸にイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが上陸してから、
長崎は"日本の小ローマ"と呼ばれるほどキリスト教文化が花開いた。
ところが、豊臣秀吉によって弾圧が始まり、江戸時代初めの1614年には全国に「禁教令」が発せられ、
キリシタンは徹底的に迫害を受ける。
長崎の教会はすべて破壊され、「島原・天草の乱」で88日間の籠城(ろうじょう)の末、約3万7千人が亡くなった。
しかし、生き残った信徒たちは、表向きは仏教徒を装いながら、ひそかに信仰を守り続けた。
長崎の隠れキリシタンたちの間には、幕府に捕えられ殉教したバスチャン伝道士の予言が伝えられていた。
それは、「7代耐え忍べば、再びローマからパードレ(司祭)がやってくる」という言葉だった。
1858年に始まる黒船来航にともない外国人に信教の自由が認められ、長崎にも教会が再び建てられ始める。
1865年3月17日の昼下がり、長崎・大浦天主堂のプチジャン神父を日本人の男女十数人が訪ね、
「あなたさまと同じ心です」と命を賭して告白した。これが「信徒発見」だ。
予言が成就した瞬間だった。
250年余りもの間、教会もなく神父もいない状況下で、7世代以上も信仰を失わなかった人々の存在に
世界中が驚愕した。
長崎市、佐世保市、平戸市、南島原市、五島列島の五島市、小値賀町(おぢかちょう)、新上五島町、
熊本県天草市にある13の「長崎の教会群」は、日本におけるキリスト教の伝来・繁栄・弾圧・潜伏・復活の歴史を
物語っている。
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、世界中の人々に、日本の文化の広さと深さ、日本人の真摯さと敬虔さを
伝えられるに違いない。
◆世界遺産登録はゴールではなくスタートである
実は、富士山は、当初、「世界自然遺産」での登録を目指していた。
世界遺産条約を批准した1992年から富士山を世界遺産にする運動が一たび盛り上がった。
94年にはたった3カ月で240万人を超える署名が集まり、勢い込んで国会請願まで行なった。
しかし、麓の乱開発に加え、ゴミの不法投棄や屎尿の放置などが問題視され認められなかった。
また、富士山のようなコニーデ型の火山は世界的に見れば特段珍しいわけではなく、
貴重な自然が残っているとは必ずしも言えなかった。
そこで、捲土重来を期して、「世界文化遺産」として再度挑戦し、登録が認められたのだ。
世界遺産登録はゴールではなくスタートである。
あくまで人類全体の貴重な財産として永久に残すことが目的であり、単に観光やビジネスのために
登録されるわけではない。
登録時には存在していた顕著な普遍的価値が失われたと判断された場合には、登録が抹消されることもあるのだ。
実際に過去においても、オマーンの「アラビアオリックス保護区」で、
保護計画が整備されず開発を優先させたため抹消された。
また、ドイツでは、世界遺産委員会が新たな橋の建設は景観を損ねると警告したにもかかわらず決定されたため、
「ドレスデン・エルベ渓谷」が抹消されている。
日本でも、例えば、白川郷・五箇山では、登録後に観光客数が激増した。
白川郷の場合、登録前には毎年60万人台だった観光客数が、140~150万人台と倍以上に増えた。
中には世界遺産の意義を理解していない観光客が、住民の日常生活をのぞき込むといったトラブルも発生している。
観光もビジネスも世界遺産を守る持続可能なものでなければならない。
世界遺産登録を維持できるかどうかは、私達日本人ひとりひとりの意識にかかっているのだ。
世界遺産のロゴマーク