企業経営者マクナマラを国防長官に抜擢
米国のベトナム戦争への本格的介入は、民主党のケネディ政権時に始まる。1960年の大統領選挙で当選したケネディは若い人材を積極登用したが、ソ連が指導する共産圏との体制競争の軍事対応を担う国防長官に抜擢したのは、自動車産業のフォード・モーター社社長に就任したばかりのロバート・マクナマラだった。
マクナマラは当時44歳。ハーバード大出身の統計学に長けた俊英で、第二次世界大戦中に陸軍航空軍に入隊し、統計管理局で戦略爆撃の立案、統計分析に才能を発揮している。戦後は経営苦境にあったフォードに入社し、得意の計数管理に基づくリストラと不採算部門のカットに辣腕を奮い業績をV字回復させる。ケネディから国防長官就任を持ちかけられて一度は断ったが受諾する。社長就任からわずか5週間後のことだった。
1962年10月に起きたキューバ危機では、キューバに向かうソ連船の臨検実施などでケネディを支え、米国本土から目と鼻の先のキューバへのソ連ミサイルの配備を阻止して大統領の信任を得ている。
計数管理の誤謬
ベトナム戦争において、彼は計数管理を駆使して方針を立てた。北ベトナム軍・解放勢力側の兵備と米軍・南ベトナム軍のそれを数量的に比較して、「短期間での勝利は間違いない」と結論づけて、さらに兵士の大量投入と軍備の増強を訴えた。
1963年11月にケネディが暗殺された後、政権を引き継いだジョンソンの下でもマクナマラは国防長官にとどまり、ベトナム戦争の政策指揮をとる。米軍にとって経験の乏しいゲリラ戦での苦戦を強いられていたが、彼の勝利展望は揺るがなかった。現場を視察したマクナマラは、現地司令官たちに、「わが軍の犠牲者の10倍の犠牲を強いれば、やがて敵の軍は消滅する」と強気の発言を行なっている。
統計、計数管理が全てのアメリカ式経営合理主義で軍の優劣を割り切れるものなのか。ある司令官はマクナマラに忠告した。
「数字がすべてではない。長官はベトナムの農村部の庶民の感情を考慮していない」
マクナマラは、こう答えた。「感情は数値で測定できないのだから、重要ではない」。
一人歩きする数値目標
マクナマラの理論では、目にみえて測定できる数字だけが重視され、目に見えない感情や文化の差は存在しないものとして無視されてしまう。その数値目標重視の姿勢が軍のモラルハザードを生み出してしまう。
先ほど触れた「味方の犠牲を減らし、10倍の敵の犠牲者を」という指示は奇妙なことを引き起こす。現地の各部隊は、「殺害した敵の数」を競うようになる。ボディ・カウント(遺体の数)競争だ。
農村に潜む共産分子を炙り出すために行われる索敵、掃討作戦も、その目的からはずれて、まず放火、ナパーム弾での空襲で集落を焼き払う。事後に遺体の数をカウントして報告する。一般農民もゲリラも区別なく。すべて掃討した共産主義者として水増しした報告が上がる。攻撃に参加した指揮官には勲章が授与され昇進が待っているが、部隊のモラルは低下する。「農村を共産分子の魔の手から守る」という参戦の大義は吹き飛ぶ。村を焼き払われた農民には、米軍への憎しみだけが増幅する。モラルを失った軍隊は必ず負ける。古来、軍に綱紀が求められるのはこのためである。
軍だけの話ではない。企業活動においても同じことが起こりうる。業績を上げるために営業の数値目標を掲げることはよくあることだ。企業トップ、上司が掲げる数値のクリアは社員にとり絶対要素だ。だが、無理な数値を掲げると数字だけが一人歩きする。現場に無理が生じて、数字の水増し調整などのつじつま合わせが起きかねない。
経営にデータの活用は不可欠だ。しかし、組織内の人間関係、取引先との関係、業界の状況を無視した数値の設定は思わぬ組織破綻の危険をはらんでいる。
「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」と呼ばれる失策パターンだ。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』松岡完著 中公新書
『戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』野中郁次郎ら共著 日経ビジネス人文庫
『マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓』ロバート・M・マクナマラ著 仲晃訳 共同通信社





















