■河津桜の名所に湧く名湯
南伊豆の河津桜は満開だった。ひと足早く春の訪れを告げる河津桜まつりは、毎年2月上旬~3月上旬にかけて開催されているが、河津川の両岸に3キロにわたって、河津桜が一直線に並んでいる。ソメイヨシノよりもピンク色が濃いのが印象的だ。
まだ寒い季節に花を咲かせる桜だからだろうか、どことなく力強さを感じさせる。河津桜の下には菜の花も植えられており、ピンクと黄色の鮮やかなコントラストが美しい。
川の土手を一人、上流から下流に向かって歩く。河津桜は土手を包み込むように枝をのばしているので、空を見上げても桜の花がいっぱい。まるで桜のトンネルである。
一足早い春を満喫した後に向かったのは、まつりの会場からも近い湯ヶ野温泉。河津川沿いに数軒の宿が並ぶ山間の小さな温泉地である。歓楽街などは存在しない静かな温泉地で、賑やかな河津桜まつりの直後に訪れると、そのひっそりとした静けさがいっそう際立つ。
この日の宿は、創業明治12年の老舗宿「福田家」。河津川にかかる橋を渡ると、木造2階建ての和風情緒あふれる建物が姿をあらわす。新館は清潔感あふれるキレイな建物だが、本館は創業当時のままである。
■川端康成が宿泊した宿
実は、福田家はノーベル賞作家・川端康成のゆかりの宿として有名である。川端康成は若い頃から伊豆半島を気に入り、温泉地に何度も滞在している。福田家には、川端康成が学生時代に3泊した部屋や晩年に逗留した部屋が今も残り、一般客も宿泊することができる。川端康成のファンにとってはたまらない宿なのである。
しかも、ただ宿泊しただけではない。川端康成の代表作ともいえる短編小説『伊豆の踊子』の舞台にもなっているのだ。『伊豆の踊子』は、天城を越えて下田へ向かう旅芸人一座と出会った、孤独に悩む青年(一高生)の旅情と、踊子への淡い恋心を描いた名作。これまで6度も映画化されている。
『伊豆の踊子』は、川端康成の湯ヶ野温泉での実体験がもとになっている。「福田家」という名前こそ小説の中には登場しないが、同宿が物語の重要な舞台のひとつとなっているのは小説を読めば明らかである。
■「踊子」が入浴した共同浴場も
福田家には趣深い露天の岩風呂もあるが、名物は内風呂「榧(かや)風呂」である。浴室の扉を開けると、すぐに階段があり、湯船を見下ろす構造になっている。3人でいっぱいになる小さな湯船が、ぽつんとひとつあるだけの素朴な浴室。壁にはめこまれた、絵柄の入ったタイルがオシャレだ。湯船には、わずかにとろみのある透明湯がかけ流し。
実は、この内湯も川端康成が滞在したときと同じ風情を保っている。湯船を囲む石は新しくされているものの、浴室の雰囲気や湯底に敷かれた榧の木などは、創業当時のままだという。
『伊豆の踊子』には、こんな印象的なシーンが登場する。「仄(ほの)暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった」。このとき青年が浸かっていたのも、この榧風呂だった。
ちなみに、踊子が入っていた共同浴場は、今も榧風呂の対岸にある。当時は露天風呂だったそうだが、今は旅館の一階部分に現存する(共同浴場は住民専用だが、福田家に宿泊すれば入浴できる)。簡素な湯船がぽつんとあるだけの浴室であるが、『伊豆の踊子』の世界を脳内に再現すると不思議な気分になる。
なお、福田屋の夕食は、刺身や金目鯛の煮つけのほか、猪鍋などが並ぶ。海にも山にも近い土地柄か、海の幸と山の幸がこれでもかと出てくる。川端康成も舌鼓を打ったのだろうか。小説を読んでから出かけたい温泉である。