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万物流転する世を生き抜く(29) ナポレオン軍、冬に飲み込まれ自壊

指導者たる者かくあるべし

 冬の到来を目前に、敵を求めて意気揚々とモスクワを出発したナポレオン軍だが、その隊列は異様なものだった。
 
 軍勢は歩兵、騎兵を合わせて約10万。500門を越える砲を曳き、馬車、荷車4万台が続いた。荷車には武器弾薬のほかにモスクワ滞在35日間に兵士たちがモスクワで略奪した品々が積み込まれていた。
 
 ナポレオンは無駄な荷は捨てるようにと命令したが、当の本人がクレムリンから大量の略奪美術品を持ち去ろうというのだから、命令の効果などない。士気は弛緩し、もはや戦う軍団ではなかった。
 
 モスクワ出発から5日、両軍はモスクワの南の要衝、マロヤロスラヴェツの街を巡って激突する。
 
 攻防は一日続き、最終的には新参のイタリア軍の奮戦でフランス連合軍がこの街を陥落させたが、奇妙にもナポレオンは、近衛軍を投入することもなく、逃げるカルーガ方面に逃走するロシア軍を追いとどめを刺すこともなく進路を北へ戻した。
 
 「やつらはいくらやっつけてもキリがない」と呟いた彼は、もはや自軍に戦う気力が失せていることに気づいていた。
 
 後世の歴史家は、クツーゾフを追い込むことのできたこの時点での撤退決断が、ナポレオン遠征軍の敗北を決定づけた、と見ている。
 
 この攻防戦での連合軍の戦死者4000は全くの無駄に終わったのだ。
 
 戦いにおいて、局面に応じての戦術変更はあり得る。しかし、「敵を叩いてから国境まで引く」という出陣に際して指揮官が示した大戦略の理由のない撤回によって、目標を失った軍は軍でなくなった。
 
 きびすを返したナポレオン軍を見て、ロシア軍総司令官のクツーゾフは、「落ち武者心理と飢えで、彼の周囲は騒然としている」とナポレオン追い落としに向けて兵を鼓舞した。
 
 11月5日には雪が降った。やがて吹雪が舞い、凍りついた道がフランス軍の退却の足をとめた。国境への街道沿いには落伍兵たちの屍と放棄した砲が点々と連なり、その上を雪が覆っていった。
 
 12月5日、ドニエープル河の支流を越えた時点で、ナポレオンは、残ったわずか1万3000の兵をミュラー元帥に託し、コレンクールら側近三人と馬車に乗り、パリへと逃亡した。
 
 誤判の連続の英雄のロシア大遠征は、負けるべくして負け、ここに終わった。 (この項、次回に続く)
 
 ※参考文献
 
『ナポレオン上・下』エミール・ルートヴィヒ著 北澤真木訳 講談社学術文庫
『ナポレオン自伝』アンドレ・マルロー編 小宮正弘訳 朝日新聞社
『ナポレオン一八一二年』ナイジェル・ニコルソン著 白須英子訳 中公文庫
『ナポレオン―ロシア大遠征軍潰走の記』アルマン・オーギュスタン・コレンクール著
                    小宮正弘訳 時事通信社
 
 
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  著者/宇惠一郎 ueichi@nifty.com 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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