10年来の課題に取り組む
敵をつくらず首相の座を射止めた竹下登の話が出た流れで、彼が首相時代に成立させた消費税導入を見てみよう。
国民の消費行為に広く課税することは、硬直化した財政の立て直しの一環として、大蔵官僚出身の大平正芳内閣以来、繰り返し叫ばれてきたが、実現に至らず時が過ぎた。
中曽根康弘内閣では、税率5%の「売上税」が浮上したが、新税導入の是非が焦点となった参院岩手補選、統一地方選挙で自民党は敗れ沙汰止みとなる。国民の負担を強いる増税は国民の反発を招く。選挙に不利な税問題は、いつの時代も与党にとって危険な地雷原である。
中曽根から政権を引き継いだ竹下にとっても十年来引きずる消費税問題は避けて通れない課題だった。大平内閣、中曽根内閣の蔵相として、竹下には、「サラリーマンの所得税に依存したままでは、高齢化社会に対処できない。日本の将来のため喫緊の課題だ」との信念があった。
反対意見を取り込む
野党ばかりではなく、マスコミも「大型間接税」と名付けて、弱者の負担感がますと反対の主張を展開していた。
潮目が変わったのは、首相就任四か月後、1988年(昭和63年)3月の衆議院予算委員会で竹下が行なった答弁だった。
「弱者負担増」と声を荒げて追求する野党議員の質問に竹下は答えた。
「たしかに、所得の低い人ほど税の負担感が大きくなるのではないか、痛税感がなく税率引き上げが安易になされるのではないか、、、こうした懸念はございます」と、6つの懸念を認めた上で、「こうした問題を解消すべく、野党も交えて議論を重ねてまいりたい」と切り返した。
反対の声が強いほど、そして自らの主張を通そうとする意思が強いほど、人は「問題はない」と強弁して事態を乗り切ろうとする。竹下の発想は違った。反対者の懸念を「ごもっとも」と取り込んで、野党を同じ議論の土俵に上がらざるを得なくしたのだ。
大きな声におもねらず、理想を実現する
税率3%の消費税導入を含む税制法案は同年12月24日に成立した。そして翌年7月の参院選挙で自民党は歴史的惨敗を喫する。
竹下は後日、政治家の重大な決断のあり方について問われ、こう答えている。
「政治という無限の理想への追求に沿っているかどうかの判断が基本にある。もう一つは、マスコミを含めて、声の大きいのが世論だと思う。(話の)わからん人が。『これは…』と演説しているでしょ。僕は心の中で最大限軽蔑してるわね。軽蔑したような顔をしないで、聞いてあげる。ただ、自分が軽蔑しているようなところへ政策判断がいっちゃいかんと(考えてだ)」
それが竹下の秘策の背景だ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『自民党-政権党の38年』北岡伸一著 中公文庫
『政治とは何か 竹下登回顧録』竹下登著 講談社