乱世となれば英雄が現れ覇を競う。中国の歴史はそれを繰り返す。司馬遷が描く『史記』の白眉は、始皇帝死後、秦末の混乱期に躍り出た項羽と劉邦という両雄の対決にある。
武に秀で直情径行の項羽に比べれば、酒好きで女に目がない劉邦という男は捉えどころがない。戦えば負け、敗走を重ねる。
だが最終的には項羽の強軍を破り漢王朝を開き、太平の世をもたらす。さて、なぜか。
「人たらし」なのである。窮地に陥ると、おろおろしながらも「どうすればいいか」と策士として重用する張良に問う。「なるほど」と思えば、その軍事・外交アドバイスに従う。
百戦百敗、武に自信がないから、肝要な戦いは、項羽のもとから頼ってやってきた韓信に任せる。韓信が活躍すれば、自らの領土より広い土地をも惜しみなく与えて応える。
天下統一の事が成ったあと、その韓信を謀反の疑いありとして捕らえた時のこと。
縛り上げて眼前に引き出された韓信に劉邦は各将軍の資質について問う。
「わしの場合は、何人ぐらいの兵卒を指揮できるだろうか」
「せめて10万でしょうか」
「ならばお前はどうか」
「多ければ多いほどうまく指揮できます」
破顔した劉邦は、「それでは、なぜその程度のわしに捕らえられたのだ」と聞き返した。
「あなたは、自ら兵を指揮できなくても、上手に将軍たちを指揮なさいます。それが理由です」
かつて仕えた項羽は韓信の才能を見抜けず、たびたびの進言も無視し、警備の衛士としてしか使わなかった。
さてそれに先立つ項羽の最期。圧倒的軍勢で劉邦を追い込んだものの、兵糧が尽きたため和議を成立させ囲みを解き、返り討ちにあって垓下(がいか)の戦いで劉邦軍に敗れる。
初の敗戦で天下取りの野望が掌からこぼれ落ちた。
自らの力を頼んで獅子奮迅の戦いぶりで敵陣を突破したが、長江のほとりで自ら首をはね果てた。
いまわの際に、こう言い残した。「武で敗れたのではない。天から見放されたのだ」
この最期について司馬遷は、こう結ぶ。
「(項羽は)われとわが功を誇り、自分一個の知恵に頼って、歴史の教訓から学ぼうとしなかった」「彼は自分の失敗を認めず、いっこうに目を覚まさなかった。天が自分を滅ぼしたのであって戦術がまずかったからではない、と言うに至ってはとんでもない誤りではないか」
人を頼ってその知恵を生かせ。歴史に学べ。それがリーダーの資質であると、司馬遷は、二人の英雄の生き様から訴えかけている。
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本シリーズでは、古今東西の政治、経済、スポーツなど各界の指導者秘話から幅広く、リーダーシップとは何かを書き綴ってみる。
※参考文献
『司馬遷 史記Ⅲ 支配の力学』徳間書店
『十八史略』竹内弘行著 講談社学術文庫
『項羽と劉邦』司馬遼太郎著 新潮文庫
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