不朽のリーダー論『貞観政要』
出口治明『座右の書「貞観政要」』を読んだ。唐第二代皇帝の太宗李世民(589-649)が理想の皇帝像をめぐって臣下と問答をするという形式で書かれているのが呉兢『貞観政要』。リーダー論として名声が高い中国古典を出口さんが解説している。
李世民は優れた皇帝になろうという自覚が強い人だった。兄弟を殺して帝位を奪い取った人なので、皇帝になったからにはひたすら正しい政治を行い、その汚名を返上する必要があった。加えて「易姓革命」という中国の伝統的なロジックがある。徳を失った王朝は天から見放され、王家の姓が変わるという考え方だ。中国では歴史が王朝の正史として書き残される。李世民は後世の人々からどう評価されるのかをいつも気にして行動していた人だった。自分の寿命を超えて後世の評価を基準とする――リーダーにとってとても大切なことだと思う。
理想のリーダー「4つの教え」
勉強になった点を挙げておこう。第1に、リーダーが破滅する原因は外部にあるのではなく、すべてリーダー自身の欲望や過信にあるということ。だから人の意見をよく聞かなければならない。
第2に、部下を信用するということ。こちらがまず信用しなければ、相手は信用してくれない。「実績を上げるまでは信用しない」と言っている上司は愚の骨頂。
第3に、組織は少数精鋭でなければならない。能力を基準にその仕事にふさわしい人だけをつけ、頭数で考えない。少数だからこそ精鋭になる。
第4に、リーダーは時間軸の取り方を決める人だということ。これは僕の「ストーリーとしての競争戦略」とも一脈通じる話で、大いに共感した。上に立つ人は時間軸を自由に使える権限を持っている。だからリーダーは正しく時間軸を設定し、短期視点に流れることなく、長期でものを考えなければならない。この意味で組織はリーダーの器以上のことはできない。リーダーの時間軸の取り方がすべてを決定する――まったくその通りだ。人々が短期へ短期へと流れていく中で、長期視点を回復する。ここにリーダーシップの本質があるというのが僕の見解だ。
最も優れたリーダーの1人「秦の始皇帝」
出口さんが最も優れたリーダーの例としているのが秦の始皇帝。始皇帝は広い中国だけに、文書行政、すなわち官僚制を敷いて中央から地方へと官僚を送って統治しなければいずれバラバラになるということが分かっていた。そこで手間とコストをかけて中央集権国家を構築した。諸侯たちに領土を与えて統治させる封建制のほうがずっと効率的ではあるが、始皇帝は封建制を選択しなかった。以来中国には封建時代はない。ずっと中央集権国家。だからこそ中国の科学は圧倒的な速度で進化した。
将来の果実に対して思い切ったコストをかけ、投資を決断できる人がリーダーだ。目先の損得に右往左往している人はリーダーの器ではない。
李世民は自分に諫言してくれる人を諫言大夫という役職に置いていた。諫言大夫は魏徴という臣下で、李世民は彼を諫臣として信頼し、徴用していた。魏徴はもともと李世民が権力闘争で殺した李建成に仕えていた人物。その彼を自分の諫言大夫にする。いくら魏徴が有能だったからと言って、なかなかできることではない。自分の力を過信せず、人の意見に素直に耳を傾けることの大切さを李世民は肝に銘じていた。これが李世民のリーダーとして傑出したところだ。
秦の始皇帝への「10の諫言」
実際に貞観13年に魏徴は長大な上表文を書き、皇帝を諫めている。その内容はというと、
- 宝物を買い集め、異民族から軽蔑されている
- 「人民が気ままな行動を取るのは仕事がないから」という理由で人民を肉体労働で酷使している
- 大宮殿を作りたがっている
- 徳行の備わった人を遠ざけている
- 商工業優先で農業を疎かにしている
- 好き嫌いで人物を登用している
- 狩猟などの娯楽に講じている
- 臣下に接するときの態度がいい加減になっている
- 自分の欲望を自制できなくなっている
- 天災や謀反への備えが疎かになっている
「このままでは到底有終の美は飾れない」と直言している。李世民ほど自覚的で規律がある人でもこうなってしまう。なぜか。何のことはない、一人の皇帝という絶対権力者が統治する帝政だからだ。絶対権力は絶対に衰える。これは人間社会の真理だ。
李世民は後継者選びでも失敗している。次の皇帝を選ぶ権限が皇帝自身にしかないというのも帝政の絶対的な欠陥だ。企業にしても、いつでも社長の首を切れる仕組みは絶対に必要だ。
当時は代替的なガバナンスメカニズムがなかったので仕方ないが、李世民ほどの賢帝でも皇帝であることには変わりない。逆説的に帝政の限界を思い知る。