【意味】
怒りたくなったら、怒った後の面倒を思え。
【解説】
孔子の言葉に「君子に九思あり」とあります。君子には心掛ける九つの戒めがあると述べていますが、掲句はその中での一つです。
君子とは人間社会の地位の高い人となりますが、人間学的には「内面的には学識品格が備わり、外面的には周りからその人徳を慕われる人」と捉えた方がよいでしょう。
ちなみに、九思とは以下の通りです。
(1)見るは明を思い:物事の本質まではっきり見る。
(2)聴くは聡を思い:話の真意を聞きとり理解する。
(3)色には温を思い:表情や態度は常に穏やかにする。
(4)貌(かたち)には恭を思い:姿勢・振る舞いは謙虚にする。
(5)言には忠を思い:言行一致で誠実に話をする。
(6)事には敬を思い:慎重かつ尊敬の気持ちを以て事にあたる。
(7)疑には問を思い:疑わしいことは探究心を以てあたる。
(8)怒には難を思い:腹が立ったら後の面倒や困難を思う。
(9)得るを見ては義を思う:自分の得るものについては、正当性(義)を十分に考慮する。
「寧耐(ネイタイ)は事を成し、急迫は事を破る」とありますが、言志四録の言葉です。寧耐とはしなやかに耐えること、急迫とは急ぎ迫ることで「かっとなる怒り心」も含まれます。
三木清の人生論ノートに「人は軽蔑されたと感じた時に、最もよく怒る」とあります。本当に人物ができている人は、仮に軽くあしらわれても余裕の笑顔で対応し怒りません。
「韓信の股くぐり」の故事は、青年時代の韓信が衆人の前でならず者に股をくぐれという辱めを受けた話です。かっとならないで余裕の対応ができた韓信ですから、後に漢代の武将三傑と崇められる人物までに成長したのでしょう。
怒ることばかりでなく、逆に叱られた時の対処の仕方にも人物器量が出ます。ニコニコしながら叱られるわけにはいきませんが、叱られる側にも気遣いが必要です。
掲句にもあるように怒る側にはある種の気まずさが残りますから、「叱って頂いて有り難うございました」と爽やかにいきたいものです。叱責を避けたい気持ちも解りますが、一歩進めて仁眼長所で見れば、爽やかに叱られることで上司とのコミュニケーションが取れるようになる可能性も十分あります。叱責にお礼を言えるレベルになれば、叱られ方も天下一品になります。
― 我眼差景(我眼の差景)―
怒眼視短所(怒眼で短所を視れば)
瞬時現地獄(瞬時に地獄が現れる)
仁眼眺長所(仁眼で長所を眺めれば)
次第変極楽(次第に極楽に変わる) (巌海)