■信玄の隠し湯
山梨県には、「信玄の隠し湯」と呼ばれる温泉地が各地に点在する。戦国時代に甲斐国を統治した武田信玄公は、戦で傷ついた将兵の治療や金山で働く人々の療養のために温泉を活用したといわれる。信玄公自身が実際に温泉に浸かったかどうか真偽のほどは定かではないが、温泉のもつ効能やパワーに注目し、大切に保護していたことはたしかだろう。
そんな信玄公の隠し湯のひとつに、「増富ラジウム温泉」がある。日本百名山に名を連ねる金峰山、瑞牆山の西麓、標高1000メートルの山峡に湧く秘湯だ。同温泉が湯けむりを上げる通仙峡は、山梨屈指の紅葉スポットでもある。
山あいにある温泉街には、10軒弱の鄙びた宿と数軒の飲食店などが並ぶ。ひっそりとした山の湯治場という雰囲気である。
ところが、温泉街から少し奥まったところに位置する日帰り温泉施設「増富の湯」を訪れると、ガラッと雰囲気が変わる。街中にありそうな大型の立派な建物で、休日には駐車場からあふれんばかりの車が停まっている。
実は、増富ラジウム温泉は全国的にも知名度の高い人気の温泉である。泉質は、病に効果があるといわれる「放射能泉」で、ラジウム(ラドン)という放射性物質の含有量は世界屈指とされる。
■放射能泉の効能を求めて
「放射能泉」というと、怖いイメージが先行しがちだが、恐れる必要はない。ラドン(ラジウム)というのは、放射線を出すガス状の物質である。しかし、温泉に含まれるラドンは、もともと自然界に存在する物質で、人体に影響を及ぼさない程度の微量の放射線しか出さない。しかも、呼気によってすぐに体外に排出される。
むしろ微量の放射線で身体に負荷をかけることで、免疫力が高まったり、老化を遅らせたりするという研究結果もある。これをホルミシス効果という。こうした不思議なパワーをもつ放射能泉を求めて、多くの入浴客が山あいの温泉地までやってくるのである。
男女交代制の浴室は、近代的なクアハウスといった雰囲気。泡風呂、打たせ湯、漢方風呂などバラエティーに富んだ湯船が並ぶが、入浴客の目当ては、4つの源泉湯船。それぞれ25℃、30℃、35℃、37℃の褐色に濁った源泉が、かけ流しにされている。
泉質は、含二酸化炭素―ナトリウム―塩化物・炭酸水素塩泉。飲泉もできるが、塩味と炭酸味の混ざったような味わいで、とにかく濃厚だ。正直言っておいしくはない。それでも、ペットボトルにくんでいたおじいさんは、「飲むのがいちばん効くんだよ。あんたも持って帰ったらどうだ」としきりに勧めてきた。おじいさんにとっては、温泉が薬代わりなのだろう。
■水のように冷たい温泉
まずは30℃の源泉に浸かる。冷たい。ほとんど水に浸かっている感覚である。たまらず35℃の湯に浸かる。35℃といっても体温とほぼ同じなので、ほとんど熱を感じない。だが、しばらく時間がたつと、体の芯からじわじわと温まってくる感覚がある。不思議なものだが、これが温泉パワーなのだろう。暑い夏にはこのくらいの泉温のほうが気持ちいい。
本当はゆっくりと1時間くらい浸かっているのがよいのだろうが、この日はどの湯船もいっぱいで、順番待ちが発生するほど。できることなら、平日など空いている曜日や時間帯に訪れたい。
最後にいちばん泉温が低い25℃の湯船に浸かる。かなり冷たく、とても温泉に入っている気分ではない。ちょっとした修行をしている感覚だ。他の入浴客もじっと動かず、静かにしている。しかし、最も順番待ちの人が多かったのが、25℃の源泉である。実は、ラドンガスは、泉温が高くなるほど飛散しやすくなるので、低温の源泉のほうが効能は高いとされる。みなさん、それをよく知っているのだ。