張学良は蒋介石の自由を奪いさえすれば、
決起した直後、張は、自らの行動を「兵諫(へいかん)」と名づけて、
「国家の危機に際して、
監禁されたとはいえ、蒋介石にしてみれば、
「路線の変更は、ここでは決められぬ。
頑なな蒋介石の態度に張学良は打つ手を失った。
国民政府の幹部から親日派を排除して組み換え、
張学良は、「文書への署名はなくてもいい。
手の内を見せてずるずると妥協する交渉では勝てる道理はないのだ。
張学良にとって頼みの綱は、
国民政府顧問として西安に乗り込んだドナルドからの報告を受けた
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『西安事変前後―「塞上行」1936年中国』范長江著 松枝茂夫、岸田五郎訳 筑摩書房
『蒋介石』保阪正康著 文春新書
『張学良はなぜ西安事変に走ったか―
国民政府のトップである蒋介石を拘束、監禁したものの、現地の西安で事変の主役の張学良は焦りの色を濃くしていた。
事変解決は、蒋介石と部下の張学良の確執を離れ、国民政府の財政的後ろ盾である浙江財閥と中国共産党との交渉に主導権が移っていく。 (この項、次回に続く)