蒋介石の妻、宋美齢は兄の宋子文とともに夫が拘束されている西安に飛行機で向かった。西安事件発生から11日めのことである。
迎えに出た張学良に対して宋美齢は提案した。「お金はいくら程必要かしら。政府内での地位もお望みがあればおっしゃい」
張学良もなめられたものである。辛亥革命で孫文を支持して以来、国民党の財政的後ろ盾として夫の数々の政治危機を救ってきた浙江財閥の一員として、金と地位で人は動くと経験則から考えたのだろう。実際にこれまで多額の軍資金を張学良に貸し込んでいる。
しかし、張学良は毅然と言い放った。「金も地位もいらない。蒋委員長から、反共から抗日への政策転換を確約いただければ、(合意文書への)署名までもらおうとは考えていない」。「とにかく抗日を」とは、西安に先乗りして根回しを続けていた中国共産党の周恩来の狙いと一致する。交渉ごとの根回しでは先手必勝なのだ。宋美齢の西安入りはあまりに遅かった。
続いて夫に会った宋美齢に蒋介石は、張学良側から出されていた、①国民政府を改組して親日派を追放、②あらゆる(反共)内戦の中止、③全国の政治犯の釈放―などの蒋介石解放のための8項目要求をあっさりと飲んだ。
ただし、「交渉の席に私はつかん。お前たち兄妹がやれ。8項目は私が指導者として保証するが、いかなる文書にも署名はせんぞ」と条件をつけた。
言質を取られず釈放後の政治的自由を確保する。署名のない政治的合意、つまり口約束は無効であると、修羅場をくぐってきた蒋介石は熟知していた。張学良はそれを知らず、ただ合意を焦った。
宋子文兄妹と会い、口約束の合意を持ち帰った張学良に、同志の楊虎城らから強い反発が挙がる。「お前(張学良)は、蒋介石夫婦と繋がりがあるからいいが、おれたちはどうなる。保証もなしに口約束だけで蒋介石を釈放すれことは野に虎を放つようなものだ。逆に捕まって殺されてしまう」
一方、周恩来の所へも共産党中央からの指令を携えた伝令が急派されてくる。
「蒋介石が政策変更を約束した公式声明を出すまで拘留を続けよ。期限は1月1日」
残された時間は10日を切っている。周恩来は、大詰めの交渉の落とし所に思案をめぐらせていた。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『西安事変前後―「塞上行」1936年中国』范長江著 松枝茂夫、岸田五郎訳 筑摩書房
『蒋介石』保阪正康著 文春新書
『張学良はなぜ西安事変に走ったか―東アジアを揺るがした二週間』岸田五郎著 中公新書
『周恩来秘録(上下)党機密文書は語る』高文謙著 上村幸治訳 文春文庫