日露戦争の当時も今も、国際金融の中心地はロンドン、しかもシティと呼ばれる金融街である。英国のEU(欧州連合)離脱騒ぎが世界経済を揺るがしている理由でもある。
戦費調達の重責を担う高橋是清がロンドン入りの前に米国に向かったのは、困難な任務に関して米国がキー・プレイヤーになると見越してのことである。
米国産業は英国を追う勢いで急速な発展を遂げつつある。しかしニューヨークのウォール街は、国内金融に精一杯で国際金融に目が向いていない。一方で日露開戦前から米国世論は日本に同情的で、「米国資本が日本支援に動くことは可能」と、高橋は見ていた。
サンフランシスコに上陸した高橋は、すぐさま大陸横断鉄道に飛び乗りニューヨークに向かった。
ニューヨークで待ち受けていたのは一通の電報であった。英国での活動の拠点と頼る横浜正金銀行のロンドン支店長からである。
「ロンドンでは(外債)募集の見込みはない。ぜひ米国で金策せよ、今日、正金銀行のごときは(シティにおいて)ビタ一文の信用もない」
その信用を得るためにお前はいるのではないか、と高橋は罵声を浴びせ返したいと思ったに違いない。「面倒は持ち込まないでほしい」という、失敗を避けたがる役人根性丸出しの「できない」ことの言い訳だった。
説明が必要だが、横浜正金銀行は、明治維新後、貿易決済を扱う国策銀行として設立された。外国為替を一手に扱った後の東京銀行の前身である。しかし歴代のトップは自己保身傾向が強く、大蔵省、日銀の思い通りに動かなかった。
そこで、9年前に日銀西部支店長だった高橋が横浜本店の支配人として送り込まれ、体質の改善に取り組み、業績を上げた。
「いまだにこれか」と高橋はいらだちつつも、米国の金融関係者数名と会い、感触を探った。やはり当時の米国金融界は外債話には不慣れで、シティに先駆けて起債を引き受ける用意はなかった。しかし、高橋は感触を得ていた。
「米国に資金はある。英国が動けば必ず米国の金融、資本家は動く」
高橋はニューヨークを発って英国に向かった。3月31日、リバプールに着いた高橋は、ロンドンで旅装を解きながら、考えていた。
「必ず起債はできる。信用がないなら、日本に十分な外債の償還能力があることを説いて回るしかない。やる」と。信念であった。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『高橋是清自伝(上、下)』 高橋是清著 上塚司編 中公文庫
『日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち』 板谷敏彦著 新潮選書
『日露戦争史』 横手慎二著 中公新書