しかし、財政面では長期戦を戦うための準備は整っておらず、「
いったい、どれだけの戦費がかかり、
会社でいえば、商機を見つければ、必要経費を要求し「行け行け」の営業と、経営全体を見渡して
井上馨、松方正義両元老が戦時財政をみるとこになり、開戦後、
そこでの議論は心もとないものであった。
「軍費総額は約4億5千万円。
それでは国庫の正貨はなくなってしまう。
1億円と言っても、今とは貨幣価値が違う。開戦前年1903年の国家予算の歳出が2億5千万円であるから、1億円の起債はとんでもない額である。
「付け加えるならば」と、大蔵省幹部は言った。「この計算は、
高橋はそれを聞いて、「一度の起債で済むわけがない」
直前のポンド建て外債が失敗に終わったことは前回触れた。「
高橋是清は、2月24日、横浜から米国に向かった。まず
京城(現ソウル)以南を手中にした日本陸軍は、
国運を懸けた日露戦争は始まった。外交交渉の決裂を見越して計画していた通り、陸軍は国交断絶から二日後の明治37年(1904年)2月8日には電撃的に韓国の仁川(インチョン)に上陸し、海軍は翌日、仁川港口でロシアの砲艦2隻を撃沈している。