2月の日露開戦後、
ただでさえ、日本の公債はリスクを勘案して、
さらに、英国人にとっては、
当時、日英同盟(1902年締結)があったにもかかわらず、
一方、高橋がロンドンで活動を始めた1904年4月初めの段階で
「戦いで勝機が見えるまで、公債募集は控えた方がよろしかろう」
4月3日、高橋是清は日記にこう書いた。
「林(董=ただす=
余談となるが、高橋が使ったホテルは、「ロイヤルホテル」
さて、焦らず情報収集を続けていた高橋に、待ち望む勝機、
4月13日、旅順港口での日露両海軍の小競り合いの最中に、
戦いの行方に影響があるほどの事件ではなかったが、
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『高橋是清自伝(上、下)』 高橋是清著 上塚司編 中公文庫
『日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち』
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ロンドンに到着した高橋是清は、早速に銀行家や投資家から情報収集を始めたが、話を聞けば聞くほど外債募集に絶望的となった。