ギリシャ文明というのはつまりアテネ文明のことである。ギリシャにはいくつもの都市国家があった。アテネ以外にもスパルタとかコリントとかあったが、アテネ以外にその後の世界にこれという影響を与えたものはない。
そのアテネにしても黄金時代といわれるものはペリクレス(紀元前491年頃―429)が将軍(ストラテゴス)として毎年選ばれていた紀元前443年から彼の死んだ429年までの前後約30年間だとされる。
つまりペリクレスはその後二千年以上も経った今日でも、世界の人が範として仰ぐような時代を作った人物ということになる。
もちろんそんな偉大な時代が一人でできるわけはない。いつの時代でも偉大な時代は大戦争の勝利の後に来る。ペリクレスの生まれたのは、マラトンの戦いの前年であった。
今日のオリンピックのマラソン競争のもとになったマラトンはアテネから三十数キロのところの地名である。このマラトンにペルシャの大軍が上陸したのだ。
この頃のペルシャ帝国は強大で今のパレスチナあたりを征服して西に進み、小アジアにあったギリシャの都市国家を片っ端から攻め落とし、その住民をすべて奴隷にし、更にエーゲ海の島々の都市を征服・破壊して、いよいよギリシャ半島に攻め込むつもりでマラトンに上陸したのであった。
これを迎え撃ったのは一万人足らずのアテネ軍であったが大勝利して、ペルシャの大軍を撃退したのである。アテネの市民たちが昂揚気分になったことは容易に想像がつく。その頃にペリクレスは生まれた。いわば日清戦争後の日本とちょっと似ていたかも知れない。
ところがその十年後、更に巨大なペルシャの大軍がギリシャに押し寄せてきた(日露戦争も日清戦争の十年後でしたね)。その後のギリシャの記録では五百万という大軍である(白髪三千丈はシナの話だけではなかった)。
その百分の一と考えても大軍である。ヘレスポント(今のイスタンブールのところのダーダネルス海峡)に橋をかけ、アトス山の半島に運河を掘り、空前の大軍をマケドニアに送り、北からギリシャに攻めこんだのだ(橋と運河の話は後世では否定する人もいる)。
アテネの北部や西部のギリシャの都市の多くは抵抗をあきらめ、ペルシャ軍を自由に通行させた。このとき小勢のスパルタ軍がレオニダス王の下でテルモピレーの峠で壮烈な玉砕をした話は、私も少年の頃に『プリュターク英雄伝』か何かで読んだ記憶がある。
アテネの滅亡も眼前に迫ってきた。しかしアテネには財政的幸運と軍事的幸運があった。それはマラトンの戦いの後にアテネの近くに銀山が発見され、その富を使って海軍を作ったテミストクレスというリーダーがいたのである。彼は陸戦でペルシャの大軍と戦うのは無理と考え、アテネを抛棄(ほうき)し、女と子供は近くのサラミス島に移し、男は船に乗って戦うことにした。
このときサラミス島に「疎開」した子供の中に十歳ぐらいになった少年ペリクレスがいた。アテネは占領・破壊するにまかされたが、サラミスの海戦でアテネ海軍はペルシャ海軍をほとんど全滅させた(日本海海戦のように)。
海軍を失ったペルシャの陸上の大軍は補給にも不自由し―――大軍であるほど補給は難しい―――、翌年にはスパルタとその同盟軍によって陸上でも破れ、ペルシャのギリシャ侵攻はこれで終わった。
アテネはその後、海上の攻撃に出てペルシャ海軍の残敵を一掃し、小アジア(今のトルコ南岸)のギリシャ人の諸都市やエーゲ海の島々を解放し、ペルシャより護ることにした。
この背景でいわゆるデロス同盟ができたが、その中心は当然アテネである。更に紀元前468年に今のトルコ南岸でペルシャ軍を陸上と海上でデロス同盟軍が大勝し、ペルシャからの危険は完全に取り除かれた。そしてアテネは地中海の海上帝国となった。そのときのアテネの指導者はキモン。ペリクレスは二十三歳ぐらいの青年だった。
ペリクレスの父はペルシヤ海軍の残敵を全滅させた艦隊の指揮者の一人であり、母もまた名門の出であった。名門の出ということは源頼朝や足利尊氏の例でも見たように、昔は出世の重要な條件である。
ペリクレスは名門出身であり、抜群のリーダーシップでアテネ海上帝国を繁栄させた。重要なのはそのペリクレスがアテネ市民を指導した弁論である。それは彼の死の一年前に、スパルタとの戦で戦死した人たちを祀る際に行った演説に最もよく示されている。それはアテネの理想であると同時に、近代ヨーロッパ、そして今の全世界の理想ともなったものであった。
「われわれの政体はどこの国の真似でもない。われわれは近隣諸国の手本なのである。われわれの政体はデモクラシーと名付けられる。それは少数者の手に権力があるのではなく、多くの人の手にあるからだ。(彼は貧しい人も執政官になれるようにした)われわれの法律は個人同士の争いに対しては平等な正義を保証し、世論はすべての分野の業績を歓迎し讃える。
われわれは抑圧された者たちを守る権威者と法律に特によく従う。われわれの国は働けばよいという国ではない。どの国もわが国ほどよく精神のリクレーションの手段を与えるところはない。わが公共的建物の美(彼はパルテノンも建てた)は心を晴れやかにし目を楽しませる。
われわれは美を愛するが奢侈には耽らない。知恵を愛するが男らしさは失わない。富はわれわれにとって虚栄の手段ではなく功業の機会を与えてくれるものである。わが市民は公的、私的義務を持つが、私的な利益で公的利益を害することはない。
われわれは公的生活を無視して生活する人を「静かな人」と見ないで「無用な人」と見倣す点において他の国とは違うのだ。一言で言えば、われわれの都市アテネは全ギリシャに対して教育になっているのである。」
ギリシャは滅んだ。しかしペリクレスの説いたことは西ヨーロッパの近代国家の理想となり、特に現代のアメリカに重なるのである。アメリカの大統領は自分をペリクレスだと思っていると考えるべきだろう。
渡部昇一
〈第20
「都市国家アテネ」
ブリュレ,ピエール著 青柳 正規監修
創元社刊
本体1400円