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人間学・古典

第55回 「『道歌』で知る人生の智恵」

令和時代の「社長の人間力の磨き方」

今も、俳句や和歌を嗜む人は多い。テレビでも芸能人が俳句を詠み、専門家の添削を受けて意外な才能を見せる人の顔ぶれは幅広い年代にいる。和歌は、年初に皇居で行われる「歌会始め」には、毎年の「お題」を詠んだ歌が全国から老いも若きも何万と寄せられ、我々庶民の素養や教養を知ったりもする。そこには約1,500年前の『万葉集』の姿を見ることもでき、改めて歴史の循環を感じることもある。

 

「俳句」も「和歌」も、正式に嗜もうとすると季語や切れ字などの細かなルールの中で「詠む」という縛りがあり、簡単なようでいて難しい。そのルールを一切はずし、自由に遊んで詠めるのが「川柳」であり「狂歌」だ。これらには、時代や政治を諷刺する意味も込められ、そのために「詠み人知らず」も多いが、気楽に読んで当時の人々の思想を知ることができる。

 

「親孝行 したい時には 親はなし」との俚諺は、誰もが知り、納得するところだ。この部分だけを見れば「五・七・五」の俳句の型式だが、実はこの後に「七・七」が付き、「歌」の形になっている。例に挙げたものは「道歌」の前半で、後には「墓に布団(「錦」とも)は着せられもせず」と続く。また、小さな我が子の成長に目を細め、「立てば這え 這えば歩めの親心」は誰も一緒だが、これも同様で、後には「我が身に積もる老いも忘れて」と続いている。

 

いずれも、厳しい環境を生き抜いた先達の言葉であり、内容は厳しく、重い。しかし、それだけではなく見事なバランス感覚を持っており、「現世利益」どころか「現在利益」のみを求め、汲々と日々を生きる我々に、「視野が狭い」と叱咤されているかのような気持ちになる。

 

学校へ行かず、学問を修めずとも、「生きる」というこれ以上ない厳しい実学で得た経験から来る言葉は、優れた机上の空論よりも遥かに説得力を持っている。僅か三十一文字で、人生の極意を鋭く突いている先人の知恵は、過酷な人生経験から得た教訓で、昨今流行りの無味乾燥なAIには叶わない部分かもしれない。

 

「道歌」が優れた日本文化だと感心するのは、時には哲学的とも言える教えを、平易な言葉で誰にでも分かるような形にしていることだ。難しいことを難しく言うのはたやすいが、平易に説明するのは難しい。私の専門で言えば、「歌舞伎」に関する講演で150人の聴衆を10分で寝かせるのはいとも簡単だが、笑いを交え、少しは何かを分かっていただいて90分起きていてもらうのは遥かに難しい。人生の教えに「洒落っ気」のスパイスを程よく振りかけたところに、「道歌」の真髄がある。

 

 「兄弟のなかも互いに敵となる 欲は激しき剣なりけり」

 「負けて勝つ道理のあるを思案せで 悪きは人の負けじ根性」

 「誰(た)が死んだ彼が死んだといううちに 我れが死んだと人に言われる」

 「強き木は吹き倒さるることもあり 弱き柳に風折れはなし」

 「知らぬ道知ったふりして迷うより 聞いて行くのがほんの近道」

 

いずれも、「ごもっとも!」と敬服せざるを得ない教えでありながら、堅苦しくはない。今、どの位の数の歌が遺されているかは不勉強にして不明だが、「詠み人知らず」も多く、ここで例に挙げたものはすべてそうだ。もちろん、歴史に名を残した人も人生の教訓を歌に託してはいるが、どこの誰とも分からない人の歌が、時代を超えて継がれていることは何だか嬉しくもあり、その分親しみが増す。

 

「梅干しのような婆(ば)さまも花咲きし 昔は色も香もあったげな」

などと言われてしまうと、アンチエイジングもさることながら、「年相応」も大事なのだと、老いることが悪のような現代社会の空気に呑み込まれている自分の愚かさに気付きもする。

 

時代によって、「当たり前」は違う。我々は三ヶ月先の約束をすることは当然でも、数百年前の人には特別なことであり、だからこそ「その折に元気でいれば」との断りが付く。当たり前の今日、明日の「一日」の重みや重要性を、先人たちは身体で理解していたのだ。また、我々は、自分のしていることを、何でもかんでも貨幣や時間などの他の物に「換算」し、「比較」しようとする。それは現代の「当たり前」かもしれないが、比較対照するべき情報が少なかった江戸期には、そんなことをしても何の意味もないばかりか、比べ、闘うべきは世間に惑わされ、楽な道を選ぼうとする「己」であることも知っていたのだ。こんなことをしたり顔で賢しらに書いている私など、鼻で笑い飛ばされるのが落ちだろう。

 

いずれ機会を改めて書くが、江戸期の人々は「不便の効用」を知っていた。しかし、効用にも不満はある。そうした人生に折り合いを付け、生き方の指針の一つともなる道歌は、貴重な示唆を与えてくれたのだろう。

 

私が肝に銘じている歌がある。

「怠らず行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし遅くとも」

江戸中期の歌人・坂静山(1665~1747)が詠んだものだ。仮に、私に僅かでも才能と呼べるものがあるとすれば、日々僅かでも倦まず弛まず努力をすることしかないからだ。決して、足が遅いことの言い訳ではない。

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