2025年、令和6年は昭和が続いていたとすれば「昭和100年」になる。昨今、平成生まれの世代の間では、「昭和レトロ」がブームになっている面もあるようだ。まだ現役だが懐かしまれてしまうのも、こそばゆいような気もする。
この春、明治生まれの最後の男性が亡くなり、日本人男性で存命中の最高齢者は大正生まれしかいなくなったと聞いた。「明治は遠くなりにけり」どころの話ではなく、遥か歴史の彼方になってしまった。折から、夏に発行された新しい紙幣の10000円札の肖像は、明治以降の近代化の礎を築いた一人の渋沢栄一(1840~1931)である。幕末の動乱を経験し、昭和初期までの90年を超える偉人の生涯は、ことさら私が語るまでもないだろう。
有名無名を問わず、激しく時代が揺れ動いた明治生まれの人々は肝の据わり方が私なぞとは違っていることには、いつも感心するばかりだ。生まれた時期にもよるが、明治の末生まれの私の祖母は、関東大震災、第二次世界大戦を潜り抜けた。学問こそなかったが、人生という実学を重ねて学んだ説得力のある言葉には、後から頷かされることが多かった。
「ひと様に何かしてやろうと思うんだったら、お礼を言われようと思うんじゃないよ。『ありがたい』なんて言うのはいいとこ三日か一週間で、してもらうのが当たり前になるんだよ。こっちが少しでも何か足りなければ、苦情を言われる、ぐらいのつもりでいなよ」。確かにその通りだ。同時に、自分が今、どちら側にいるのかを考えさせられる年齢にもなった。「お金のあるなしだけに囚われるようになったら、人間、ダメなもんだよ。ない時はないように暮らせばいいんだ」。ご尤もな話である。
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明治の激動を生き抜き、大きな仕事を残した人は枚挙に暇がない。また、このタイミングで多くの人の生涯や業績を語った本が出るだろう。そうした人々の中で、先を見通す力とその胆力に敬服するのは、昭和7年の「血盟団事件」で暗殺された團琢磨(1858~1932)だ。
江戸末期の安政の生まれながら、明治11(1878)年にはマサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業している。その経験を活かし、三井財閥の鉱山開発などで能力を発揮した。福岡県大牟田市の三池港には、明治41(1908)年に團の指示で造られた「閘門」(水門)がある。日本には珍しい「パナマ運河」同様の形式を採っており、この閘門を造る際に、資材となる木材を大量に輸入した。
その折に團は、「年中、水に漬かっているもので、いくら防水がしてあり、水に強い木材でもやがて補修は必要になる。50年後の修繕を考えて、必要な資材を発注せよ」と指示を出したそうだ。今のように物事の流通が簡単な時代ではないにせよ、50年後を見据えた発想と発言はたいしたものだ、と実際に閘門を眺めた記憶がある。
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團のように、系統立った学問で身に付けた知識やそこから出て来る洞察力の深さが見事なのは当然とも言える。明治生まれの凄さは、今のように教育制度が整備されておらず、誰もが高等教育を受けられなかった時代に、自分の職業や生活を通して学んだことを小難しい理屈を抜きにして核心を突く点だ。いわば経験則の豊かさである。
芝居の世界で「やれるとできるは違う」という言葉がある。元はいつ、誰が発したのか定かではない。例えば、一本の芝居である役を与えられたとする。初めから終わりまで、何とかかんとか「やる」ことは努力をすれば可能ではある。しかし、それだけでは観客の共感や感動を得ることはできない。役を演じることが「できて」こそ、初めてプロの仕事として、観客の反応を得ることができる。
短い単語の「やれる」と「できる」はわずか2文字の違いしかない。しかし、この両者の距離は果てしなく遠い。これは、芝居に限ったことではなく、他の分野でも通用するテーマかもしれない。簡単な言葉ほど深いものを含んだケースがある一例とも言えよう。
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日本が大きな歴史的変動に見舞われた明治維新。明治から大正、昭和、平成、令和と御代が変わり、世紀も変わった。「ミレニアム」と騒いでいたのがついこの間のような気がするが、もう四半世紀も前の話だ。日本一長く続いた元号の昭和生まれも、生まれた時期や場所により経験は大きく異なる。しかし、のちの世の人々が「昭和生まれの凄さ」として、何を取り上げてくれるのだろうか。そんなことを期待してはいけないのだろうか。
60年を超え、間に戦争を挟み、そこからの復興を経験した強さと勤勉さは、日本人が誇るべきものの一つだと私は考える。昭和30年代の後半に生まれた一人として、明治生まれの胆力や、戦争を生き抜いた親世代の覚悟、高度成長を築いた先輩たちの持つエネルギー、そんなものの何か一つでも今の自分は持っているのだろうか、と最近しきりに自分に問うてみる。恥ずかしい話だが、答えは返って来ない。まだまだ勉強が足りない、ということなのだろうし、評価など期待せずに、それはのちの時代の人が決めることなのだ。