ほとんどのクライアント企業から、社員のメンタルヘルス不調についてご相談があります。経営者として、そのようなリスクのある社員は、できれば採用の段階で見極めたいとお考えになること自体は、否定することはできません。しかし、事業にとって重要なことは、持病や病歴そのものでしょうか。
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肥後社長:先日、営業を担当させるために中途採用した社員が、試用期間から本採用にした途端、精神的に不調になって仕事を頻繁に休むようになりました。それで、よくよく本人に話を聞いたら、前の会社に勤めているときにも精神的な不調で休職したことがあったと言うのです。採用面接のときは、健康面に心配はないと答えていましたので、何故、採用のときに本当のことを言わなかったのかと尋ねたら、もう精神科への通院をしていないし、薬も飲んでいなかったから、そこまで打ち明ける必要はないと思ったと言うのです。
賛多弁護士: そうですか、それはお困りですね。試用期間は何ヶ月とったのでしょうか。その間は問題なく働けていたのに、本採用になって不調がぶり返したことに、何かお心当たりはありますか。
肥後社長:当社の試用期間は3ヶ月になっています。入社当初は、まずは当社での仕事を覚えて貰うことが先ですから、先輩社員の営業活動に同行させていました。その間は休むことも無かったですし、その先輩社員からも「一通りの仕事はやって見せましたよ、接していて特に問題は感じません。」と報告を受けましたので、大丈夫だろうと判断して本採用にしました。ところが、いよいよ一人で動くようになり、顧客とのやりとりを独りで始めたところ、ある顧客から強いクレームを言われたようで、それから急におかしくなりました。
賛多弁護士:営業の仕事に適性があるかどうかは、一人でやらせてみないと分からないのではありませんか。それには、そもそも試用期間が短すぎますね。
肥後社長:試用期間は、どれだけ長くできるのでしょうか。
賛多弁護士:長くても1年が限度と言われていますが、お薦めしているのは、原則として6ヶ月としておき、さらに3ヶ月、あるいは6ヶ月とかの範囲で延長できるように定めておくことです。このことは、雇用契約書や労働条件通知書に書くだけではなく、就業規則もそれに整合するように変更してください。
肥後社長:経営者仲間に相談したら、採用面接で過去の精神的な不調を黙っていたのは、経歴詐称として懲戒解雇できるのではないかとアドバイスされたのですが、いかがでしょうか。今回は、病歴をストレートに質問したわけではないので、虚偽の申告をしたとまでは言えないかもしれませんが、それなら、採用選考の過程で、過去に精神疾患になったことがあるかなどと、はっきりと質問すれば良かったでしょうか。
賛多弁護士:弁護士の間でも意見が分かれるかもしれませんが、懲戒処分には無理があるでしょう。質問したのに正直に回答しなかったことを適法に懲戒するためには、そもそも、質問しても法的に問題がなかったと言える必要がありますし、さらに、真実を申告することが期待できたことも必要でしょう。
肥後社長:質問してはまずいことでしょうか。
賛多弁護士:職業安定法について厚生労働省が出している指針では、特別な職業など業務のために必要不可欠でない限り、企業は差別の原因となるような求職者の個人情報を収集してはならないと定めています(脚注1)。いわゆる持病や病歴、つまり、精神疾患に罹患していることや過去に罹患したことは、個人情報保護法では「要配慮個人情報」とされ、プライバシー保護の観点からも特に慎重な取り扱いが求められています。自動車運転や工作機械操作など、精神疾患の症状によっては周囲の生命や安全を脅かす大きな危険があると一般に認められるような仕事に従事させる場合を除けば、質問することを適法であると言い切ることは簡単ではありません。
現在も精神科の治療を受けていて薬で症状をおさえているような状態であれば、確かに、顧客との対人折衝で気を遣い、売上の数字の成果がはっきりと問われる営業のように、精神的に負荷が大きくかかりやすい仕事ができるのか、また、やらせても大丈夫なのか、という判断への影響は否定できません。したがって、就業能力や職務適性の評価のために、また、雇う側の安全配慮義務の観点から、現在の健康状態について質問することが禁じられているとまでは言えないかもしれません。
それでも、症状はすっかり収まっているものの念のため服薬は続けていることもあると聞きますから、仕事への影響の程度は一概には言えません。精神疾患への罹患について真実を申告すれば、それであっさり不採用になるのではないかと心配することについて、杞憂に過ぎないとは言えないでしょう。
肥後社長:まあ、誰でもメンタル不調になることはあり得るのに、一律に排除するのはおかしいですね。
賛多弁護士:心身に不調をきたすような仕事への取り組み方や人間関係のつくり方をしてしまう人なのか、また、たとえそういうところがあったとしても、それを認識して適応や成長への努力をしているのかの方が重要ではないでしょうか。
肥後社長:採用の過程では、そこをよく見極めることが大切なのですね。
賛多弁護士:営業として採用するなら、疑似的に営業面談やクレームへの対応をさせてみるとか、何を成功や失敗と考えるのか議論して思考プロセスをシミュレーションしてみるとか、採用選考のやり方を工夫するのも一手でしょう。少なくとも試用期間中にそういう試行や指導をして、期待される仕事と自分の適性とのギャップを本人自身も確認できるようにすることが、万一本採用が難しいという判断になっても、本人の納得も得やすく、紛争を防ぐことになるはずです。
肥後社長:よく分かりました。今回の件は、本採用になってからになってしまいましたが、本人とそのような点をよく話し合って解決するようにします。
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数年前、30代の男性社員が入社時に精神障害があることを会社に伝えなかったことを理由に懲戒処分を受けたのは不当だとツイッターに投稿して「炎上」した出来事が報じられました。筆者は、新聞やウェブメディアの取材に、大要、「雇用される側が採用時に精神障害の申告をためらうのは無理もない」、「障害を申告しなかったことを経歴詐称として懲戒処分をするには、採用選考時に障害を申告する義務があるという前提がなければならないが、そもそも職業安定法について厚生労働省が出している指針には、特別な職業など業務のために必要不可欠でない限り、企業は差別の原因となるような求職者の個人情報を収集してはならないと定めている。障害や病歴もそれに含まれると考えるのが妥当である。これらの申告を義務づけることは職業安定法の違反になりかねない」、「企業側は従業員に求める働き方や能力を明確にした上で、相手の理解度や特性に応じた説明を尽くし、信頼関係を築く努力が求められている」、「従業員側も、自己表現の方法を工夫して、職場との折り合い方を見つけて欲しい」などとコメントしました(脚注2)。
わが国の労働法は、人材の採用と配置に関する人事権について、企業に広範な裁量を認めてきました。雇用契約で職務を限定せず、様々な職務を担当させて長期的に育成・活用し、定年まで雇用を確保することを理念形とする「メンバーシップ型雇用」の慣行において、企業が必要とした「自由」です。しかし、日本型雇用慣行が揺らぎつつある今、企業はこの自由の使い途をよくよく考えなければならないと思います。
近時は、採用選考の過程で自社に適性のある応募者を抽出するためにAI(人工知能)を活用するシステムが企業に提供され始めています。今後、人事評価や配置転換においても、AIの活用が期待されています。従業員一人ひとりをより深く理解し、その個性や性格に合ったマネジメントを工夫し、適材適所することによって、その能力を引き出し、組織に包摂するために利用するのであれば歓迎すべきでしょう。しかし、採用選考の段階で疾患や障害をスクリーニングし、疾患や障害が疑われる労働者を採用しないために利用することはないと言い切れるでしょうか。
ある大学関係者は、今や、発達障害の傾向がうかがわれ、専門的な支援がなければ卒業までたどり着くのも困難ではないかと懸念される大学生が、全体の一割にも及ぶと実感しているそうです。人材業界の方からは、企業の人事関係者の間で、排除するためではなく人材として活用するために、発達障害(特に、グレーゾーン)への関心が高まっていると伺っています。
先日、あるホテルの組織開発コンサルティングに従事した際、「仕事の見える化」と「価値観の言語化」に取り組んでもらいましたが、経営幹部も管理職も、惨憺たる結果でした。企業が自社に必要な人材を選別して活用するために、応募者や従業員のことをよく把握したいという欲求に突き動かされることは理解できますが、翻って、企業自身は、自らの事業と価値観をよく把握して内外へ正確に発信することに力を入れているでしょうか。
「対話」は、言うまでもなく、双方向からの発信が無ければ成り立ちません。疾患や障害を有する人が働き続けるためには、自分自身を理解して他人に伝える意欲と努力が求められますが、企業にこそ、それを上回る意欲と努力が求められていると痛感しています(脚注3)。
【脚注】
(1)厚生労働省「職業紹介事業者、求人者、労働者の募集を行う者、募集受託者、募集情報等提供事業を行う者、労働者供給事業者、労働者供給を受けようとする者等が均等待遇、労働条件等の明示、求職者等の個人情報の取扱い、職業紹介事業者の責務、募集内容の的確な表示、労働者の募集を行う者等の責務、労働者供給事業者の責務等に関して適切に対処するための指針」(平成11年11月17日労働省告示第141号)
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00005680&dataType=0&pageNo=1
の「第四 法第五条の四に関する事項(求職者等の個人情報の取扱い)」をご参照
(2)
● デジタル毎日(有料記事):「入社時に障害を申告せず」で懲戒処分.「不当」か「妥当」か.ネットに悩む人の投稿も相次ぐ,https://mainichi.jp/articles/20190621/k00/00m/040/350000c(2022年2月3日閲覧)
● Business Insider:障害者手帳を笑われ,薬もトイレの個室で飲む ―私が精神障害を会社に打ち明けない理由。懲戒処分されたケースも―,https://www.businessinsider.jp/post-198046(2022年2月3日閲覧)
(3)小島健一「合理的配慮の提供をめぐる『対話』が個人と組織を成長させる」(「産業ストレス研究」2020年27-2)から
執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 小島健一