資産を投じて講和を買う
紀元前63年、アラビア半島に雪崩れ込んだ将軍ポンペイウス率いるローマ軍を前にエルサレムに立て籠っていたナバテア王国軍は包囲を破って王都ペトラに逃げ戻る。岩山に彫り込まれた要害の都の防備は固い。岩山に湧く泉の水と天水を貯水して長期戦にも耐えうる備えを施してあった。ナバテア王アレタス3世は、国民に徹底した持久戦を呼びかけた。
ペトラに迫ったローマ軍は圧倒的な兵力で岩山を十重二十重に取り巻く。しかし、王都に至る通路は狭隘で大軍で攻め込むのは難しい。さらに王都の周りは広大な砂漠だ。水もなく長期の包囲作戦も取れない。ペトラで足止めされていてはオリエント攻略というポンペイウスの遠征目的は達成できない。もたもたしていると、せっかく落としたトルコ、シリア、エルサレムも、強敵のパルティアの攻撃にさらされかねない。こう着状態が続いたが、ローマ軍の焦りを見てとったアレタス3世は機が熟したと判断し講和を申し出る。
講和条件は、ローマがナバテアの通商利権を保証する代わりに、ナバテアは300タラントの銀をローマに差し出すこと。銀塊9トンという莫大な資産だ。今でなら数千億円に値する。ポンペイウスの面子は保たれ包囲は解かれた。通商都市国家のナバテア王国にとっては、膨大な支出も、今後の資産再形成で取り戻せる。金銭で講和を結び、戦うことなく国の存続を買ったのだ。
大国ローマの混乱に乗じる
この後、大国ローマは政治的混乱の時代に入る。ポンペイウスと、ガリア(フランス地方)遠征で功績をあげたカエサルの政争は両将軍による軍事衝突に至る。ポンペイウスを打ち破って終身独裁官に就いたカエサルだったが。紀元前44年に暗殺されてローマは激動する。アントニウスと、カエサルの養子オクタウイアヌスが後継を争って国を二分した内戦に発展する。混乱に乗じてローマの宿敵、イラン高原のパルティアがシリアから死海方面へ侵略軍を送り込み、ナバテアの通商利権を脅かすことになった。
時のナバテア王、マリクス1世は巧みな外交を展開する。クレオパトラのエジプトと結んだアントニウスと共闘してパルティアを死海周辺から追い出すことに成功する。この時マリクス1世は、先王の実績にならって、アントニウスとエジプトの連合軍に銀200タラント(6トン)を貢いで、死海での瀝青(アスファルト)の採掘権を取り戻した。再び金銭外交で国益確保に成功した。
情勢を読む冷徹な外交
さて注目すべきはこの後である。オクタウィアヌスとアントニウス+クレオパトラ軍は、紀元前31年、ギリシャ沖のアクティウムの海域で海上決戦に至る。当然、マリクス1世は恩義のある後者についた。しかし、戦況が不利と見るや、オクタウィアヌス軍に寝返りその勝利を決定づけた。
この功績によってナバテアは、初代ローマ帝国皇帝となるオクタウィアヌスから、死海の利権を永久に約束された。ローマ軍25万は引き続き残敵を征伐するためエジプト侵攻の先導役をナバテアに求めたが、王国の宰相シュライオスはのらりくらりと参戦をサボタージュする。通商国家として、あえて敵を作ることを避けたのだ。
これまでの経過を見て、「潔くない」と感じるようでは、資源のない通商国家の外交を担当する資格はない。敵を作らず通商の経路を確保することこそが国益なのだ。
さて、ナバテア王国のその後、ヨルダン砂漠を横断していた通商路が次第に紅海経由の海路とイラン高原からシリアに抜けるルートに取って替わられるようになり、ナバテアの重要度は落ちていった。紀元106年、トラヤヌス帝の時代に、ナバテア王国は滅び、ローマ帝国の属州となり歴史から消えた。
海洋通商国家の日本。極東の加工貿易拠点としての地位に転落の兆しがある。「日本は必要だ」と周辺国に思わせる国家生き残り戦略はあるのか。ナバテアが見せた柔軟な外交の舵取りも重要だ。
外交の潔さにこだわり軍事優先だった日本は、80年前に一度滅び去ったことを思い出すべきだ。「ずるい生き残り外交」を目指そう。
※参考資料
「ローマ人の物語 Ⅳ」塩野七生著 新潮社


















