昭和45年(1970年)28歳の時、私は、千里NTの土地を800万円で大阪府より購入し、昭和47年(1972年)には、その地へ500万円で住居を建てました。
30歳の時の借入金は、1000万円にのぼりました。
私の月給は月8万円ぐらいの安月給だったと思います。
月給8万円、借入金1000万円、妻と生まれたての子供1人、それはそれは生活は苦しいものでした。
昭和48年(1973年)の秋に石油ショックが始まり、私の住んでいた千里NTからトイレットペーパーがなくなったのは今も有名な話で、その頃の映像は万博と同じく我が町のことでした。
インフレと言うのは、物の値段が上がり、給料改定は常に後からですので、インフレ期も給料生活者は大変苦しい思いをさせられたのです。ただ1つ、光がさしたのは、毎月6万円の銀行返済は、給料が10万円になり、15万円になり、20万円に昇給して元金返済が非常に楽になってきたことです。
10年後の40歳になった時には、借金の返済がそんな苦労ではなくなっていました。そして、15年後の昭和60年(1985年)のバブルには、800万円で購入した土地が、3億か5億かと言われるぐらいの資産価値に値上がりしてしまったのです。
インフレ環境と言うのは、借金をしていた者にとってはハッピーであった事を実体験しました。
私は、平成4年(1992年)より、デフレ環境がくる、今までのインフレと全く異なる時代環境だ! だからすべての物を「たため 削れ 変えろ!」と申し上げきました。
ドイツのベルリンの壁が消え、社会主義国家が自由主義資本主義経済下になだれ込んできました。中国、ベトナム、ロシア、インドこれらの生産する物資、原材料、人件費など大変な価格下落が起きると予想したのです。
膨れ上がった資産、デフレの為に含み損を持った資産を徹底して削り、特別損失を経常利益高から引き、せっかく稼いだ金を社外流出させてはならない、無理して納税する必要はない。
すなわちキャッシュフロー経営(使える金を増大させる)に変えなさい!という主義・主張・実務をまとめた「儲かるように全てを変える」(2000年・日本経営合理化協会刊)を出版し、大反響をよびました。
税前利益が一億円出たら五千万円の納税はせず、除去損失が一億円出ると一億円そのまま使えて、損失は7年間で利益から精算すればよい。
キャッシュフローのお陰で借入金の返済ができ、なんとデフレ環境でも借入金がゼロになったと多くの方々からお礼のお手紙をいただいたのであります。
私自身もゴルフの会員権等含み損をもったものは早くから処分し、個人所得の還付請求を行い、損を免れてきました。
実体験に基づき企業を指導し、変わり身の早さ、思考の柔軟性が必要であると感じています。
戦中生まれの経営者の方は、私のような人間が少なく、頑固者が多いとつくづく思います。
時代の流れを掴み、いち早くマインドチェンジをした経営者が勝ち続けるのです。
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