■熱海の喧噪とは対照的な穴場
熱海の繁華街から南へ10分ほど車を走らせると、30軒ほどの干物店が軒を連ねる「ひもの銀座」が見えてくる。
江戸時代から港町として栄えてきた網代は、観光客で賑わう熱海温泉に比べ、どこか牧歌的でのどかな風情を残す温泉地である。つまりは穴場と言っていいだろう。海岸線を走る伊東線・網代駅から温泉街に向かえば、しだいに潮の香りが漂ってくる。
別名「南熱海温泉」と呼ばれる網代温泉は、海岸線から山にかけて十数軒の温泉宿が並ぶ温泉地だ。網代港は伊豆の東海岸随一の良港で、江戸時代には「風待ち漁港」として栄えたという。「京、大阪に江戸、網代」と評判を呼び、港町として隆盛を極めた歴史を持つ。
温泉街の歴史は1938年、実業家が温泉を掘り当てたのが始まりとされる。そのときに湧き出た源泉のうち2本を所有するのが、網代漁港の外れに位置する温泉旅館「平鶴」だ。地元で水揚げされた海の幸が自慢の湯宿である。
建物自体はそれなりに年季も入っているが、イセエビやアワビなど海鮮を存分に楽しめるプランが1万円台からと、熱海エリアとしてはかなりリーズナブルに宿泊できるのは魅力だ。
■元祖・海の絶景温泉
同宿には日帰り入浴を含めて数度訪ねたことがあるが、ゆっくり温泉と海の幸を満喫するなら、やはり宿泊がおすすめ。東京に住んでいたときに通っていた美容室の担当者の実家が網代温泉の近くにあり、「平鶴の温泉とイカの塩辛は今でも忘れられない」という話を聞いたら、無性に再訪したくなり、すぐさま予約してしまった。
男女別の浴場は、内湯と露天風呂がひとつずつ。それぞれ別の源泉が注がれているというから贅沢だ。露天風呂は海にせり出すようなつくりになっていて、湯船に浸かりながら相模湾を一望できる。まるで海に浮かんでいるかのようだ。

いわゆる「インフィニティ温泉」である。湯船の縁がなく、水面と目の前の海や空などの景色が一体化しているように見える温泉のことで、特に海や湖に面した温泉施設では、インフィニティな湯船を設けるところが増えている。
温泉業界のブームのひとつであるが、平鶴にはインフィニティ温泉という言葉が広まる前から、すでに海とつながっているような湯船が存在していた。いわば時代のほうが追いついてきたというわけである。
かねて網代漁港は、海が荒れているとき、荒波を避けるために近くの船が避難をする港としても有名で、基本的に波は穏やかである。それでも、湯船に浸かっているとザッパーン、ザッパーン……と心地よい波音が響く。それも湯船と海が近いからである。
透明の湯はカルシウム・ナトリウム‐塩化物泉で、源泉かけ流し。海岸線の温泉らしく塩分が濃いのが特徴で、10分も浸かっていると、おでこから汗が噴き出してくる。湯船からあがっても、ポカポカとしてなかなか汗が引かないのは、本物の温泉である証拠だ。
■「これでもか」と並ぶ海の幸
夕食は、網代漁港で水揚げされた海の幸が並ぶ。アジのたたきをはじめとしたお造り、イセエビの鬼殻焼き、アワビの踊り焼きなど海鮮料理が、「これでもか」と並ぶ。その中には自家製のイカの塩辛も添えられていた。辛すぎることなく絶妙の塩梅で、肥満防止のため控えていた白飯を久しぶりにおかわりしてしまった。
美容室の担当者は上京してからも、家族に頼んでこの特製塩辛を送ってもらっていたという。それも納得の美味であった。
就寝前に再び露天風呂に浸かると、漆黒の先に対岸の灯りがぼんやりと輝き、天を見上げると星がキラキラと輝いてる。目を閉じて湯船に身を預けていると、潮騒が子守唄のごとく聞こえてきて眠気を誘われる。「今宵はいい夢を見られそうだ」と気分をよくして、海に浮かぶ露天風呂をあとにした。



























