国連が2015年7月発表した「世界人口予測」によれば、
インドはあと6年、2022年に中国を抜き、世界最大の人口を抱える国になる。
現在人口が世界1位の中国も2位のインドも13億人台だが、
1979年から2015年まで一人っ子政策を採っていた中国は2030年から急速に人口が減る。
一方、インドは貧富の差は大きいものの、中国・日本に次ぐアジア第3位の経済規模を誇り、
年率平均7.3%の急速な経済成長を遂げ、巨大な中間所得層が育って来ている。
20歳未満の人口が約4割に達し、生産拠点としてはもちろん、経済市場としての可能性は無限大だ。
経済発展とともに、インドの民族衣装サリーの素材であるベンベルグの需要が爆発的に増えるなど、
多くの日本人が知らないところで、既に日本企業に想定外の特需が生れている。
また、古代にゼロを発明したとされ、2ケタの九九を暗記するインド人は数理に強く、
近年、アメリカや日本のグローバルなIT分野の世界企業のトップにインド人CEOが
続々と就任している。
仏教の発祥の地として日本と長い交流の歴史を持ち、
親日国であり、日本と同じ民主主義国でもあるインドは、
経済的、文化的、政治的、地政学的、軍事的に、今後ますます重要なパートナーとなる。
さあ、今こそ、古くて新しい友人インドに目を向けよう!
◆インド民族衣装の素材特需で30億円かけて日本国内で工場増設!
多くの日本人が知らないところで、日本国内において、
ますます空洞化が進み低成長の業界だと思われている業界で、想定外のインド特需が生れている。
インドの経済発展とともに、民族衣装サリーの素材であるベンベルグの需要が爆発的に増え、
増産に次ぐ増産を重ねても生産が追いつかない状態なのだ。
実は、その最大の恩恵を受けているのは、
杭打ち事件で大打撃を受けている旭化成のグループ企業だ。
グループ旭化成せんいは、2014年、約30億円をかけて、
宮崎県の延岡工場の生産量を従来の10%増強、
生産能力を年間計1万7000トン規模に引き上げた。
繊維業界では、空洞化が進む日本の同業界が国内で大型投資に踏み切るのは
約30年ぶりの快挙だと色めき立っている。
※状況がよくわかるので、以下、2014/8/10付のJ-CASTニュースを全文引用させていただく。
インドの民族衣装「サリー」の素材として脚光
旭化成ベンベルグが「復活」、工場を増設!
繊維業界、「民族衣装」に活路を求められるか
旭化成グループの旭化成せんいが、2014年6月、
化学繊維「ベンベルグ(キュプラ繊維のブランド名)」を
生産する宮崎県延岡市の延岡工場を増設し、話題になっている。
空洞化が進む日本の繊維業界が国内で大型投資に踏み切るのは約30年ぶりの快挙となるためだ。
ベンベルグの生産増強は経済成長が続くインドで女性の民族衣装「サリー」の素材として
急速に売り上げを伸ばしていることが背景にある。
光沢があり、肌触りがよいうえ、吸湿性にも優れるベンベルグは、
綿の種子を包むうぶ毛状の繊維「コットンリンター」を原料とする再生セルロース繊維。
光沢があり、肌触りがよいうえ、吸湿性にも優れており、
国内でも高級スーツの裏地や下着などに幅広く活用されている。
元々は1857年にドイツのベンベルグ社が開発、旭化成はベンベルグ社から技術を導入し、
1931年に延岡工場で生産を開始した。
生産には高い技術が必要な上、他の化学繊維に押されるなどして、ベンベルグを生産しているのは、
現在、世界中で、旭化成の延岡工場だけとなっている。
延岡工場ではここ数年、フル生産状態が続いてきた。
インドでサリーの素材としてベンベルグの販売が急速に拡大してきたためだ。
旭化成がインドに初めてベンベルグを輸出したのは1976年。
隣国のパキスタンでスカーフなどの素材として売れていたことがきっかけだった。
当時、インドはまだ購買力が低く、すぐに売れる状況になかったが、
旭化成は現地の中小企業でもある旗屋を訪ね、
加工や染色の技術を教えながらベンベルグの普及に努めた。
インドの経済成長とともに売り上げは徐々に伸びる
サリーの素材はシルクがトップとされるが、シルクは高額だ。
ベンベルグは「シルクに最も近い化学繊維」と呼ばれ、機能性はシルクと並ぶ水準だが、
価格はシルクの半分程度。
インドの経済成長とともに、ベンベルグの売り上げは徐々に伸び、
生産が追いつかないほどになっていた。
そこで旭化成は30億円かけて、延岡工場の生産量を従来の10%増強、
生産能力を年間計1万7000トン規模に引き上げた。
そもそも日本の繊維産業は、富岡製糸場(群馬県富岡市)に象徴されるように、
明治時代以降、日本の近代化を牽引し、繊維製品という日本の最大の輸出品を供給した。
第2次世界大戦後も日本のリーディング産業として存在感を示したが、
プラザ合意による円高などに加え、近年は中国やアジア諸国からの安価な輸出品の攻勢を受けて
国際競争力は急低下。
大手各社はそろって国内から海外への生産拠点を移転し、国内産業としては勢いを失っている。
旭化成は延岡工場増設にも慎重だったが、高い技術が必要な高機能繊維であるベンベルグは
海外での生産は難しく、国内で担い続けるべきだと判断。
繊維業界では久しぶりの大型投資を決断した。
旭化成は「今後もインド市場の状況を注意深く見守る」として、
これから先の大規模投資には引き続き慎重な姿勢だ。
しかし、高機能を武器に世界市場で差別化を図るという戦略は、
衰退し続ける国内繊維産業の一つの光ともなりそうだ。
インドとのビジネスは決して生易しくはない。
しかし、インドは日本企業にとって、生産拠点としてのみならず、
市場としても無限大の可能性を秘めているのだ。
◆ソフトバンクの後継者は半年で報酬165億円のインド人!
2015年5月、日本のIT業界、経済界にインド・ショックが走った。
ソフトバンクの孫正義社長が、
「将来のことは今コメントすべきではないが、最重要な私の後継者候補であることは間違いない」
と語り、ニケシュ・アローラ氏を後継者候補であると発表したのだ。
そして、同年6月、ニケシュ氏は、ソフトバンク代表取締役副社長およびヤフー取締役会長に就任。
ソフトバンクの株主総会で、孫正義社長から「後継者の筆頭候補だ」と紹介される。
また、2015年3月末までの半年間で、総額165億5600万円の報酬を得ていたことが明らかとなった。
一体、ニケシュ氏とは、どんな男か?
ニケシュ・アローラ(Nikesh Arora)氏は、1968年2月9日、
インドのウッタル・プラデーシュ州ガーズィヤーバードで生まれた。
1989年、インド・ワーラーナシーにあるバナーラス・ヒンドゥー大学(BHU)で
電気工学学士を取得し渡米。
ボストンカレッジで理学修士号、ノースイースタン大学でMBAを取得するとともに、
CFA(CFA=Chartered Financial Analyst協会認定証券アナリスト)も取得。
フィデリティ・インベストメンツとパトナム・インベストメンツで通信アナリストとして活躍後、
1999年、ドイツテレコムに入社。欧州モバイル事業の最高営業責任者(CMO)や取締役を務めた。
2004年、グーグルへ入社し、欧州・中東・アフリカ市場の事業開発責任者となり、
2009年から、シニア・バイス・プレジデント兼チーフ・ビジネス・オフィサー(CBO)として
営業・マーケティング・提携戦略の最高責任者として活躍。
2014年7月、ソフトバンクからバイスチェアマンに迎えると発表され、
10月からSoftBank Internet and MediaのCEOに就任。同年11月、Sprintの取締役に就任。
ソフトバンクグループは、ニケシュ氏を迎え入れ、インドに1兆円規模の投資を行うと発表している。
◆インド人が世界企業トップに続々就任!活かせ「印僑」ネットワーク!
実は、私たちが日々使っているWindowsやOfficeのマイクロソフトも、
検索エンジンのグーグルの社長も、アメリカ生まれではなく、インド生まれのインド人である。
世界最大のコンピュータ・ソフトウェア企業マイクロソフトの、
ビル・ゲイツ氏とスティーブ・バルマー氏に続く3人目のCEOは、
1967年にインドのハイデラバードで生まれたサトヤ・ナデラ氏だ。
また、グーグルの共同創業者のラリー・ページ氏とセルゲイ・ブリン氏からCEOに指名されたのは、
1972年生まれでインドのチェンナイ出身のスンダー・ピチャイ氏である。
他にも、アメリカでは、アドビシステムなどIT業界はもちろん、ペプシコ、マスターカードなど各業界に、
インド移民1世の世界企業トップが次々に誕生している。
グローバルに活躍するインド人経営者が増えているのは、幼少時から2ケタの九九を暗記し、
数学と論理的思考に優れている人が多いことが大きな理由に違いない。
また、英語が公用語であることも挙げられるが、実はインドの公用語は約20もあり、
英語を流暢に話せるのは1割のエリートだけだ。
インドの100ルピー紙幣も18の言語と英語で表示されている。
しかし、英語を話せるかどうかで人生が大きく変わるため、幼少時から熱心に勉強している人も多い。
さらには、インド国内におけるまさにカオスとも言える多様性に慣れていることが、
多様で変化の激しいグローバル経済において強さを発揮しているのだ。
また、古来よりインド人商人「印僑」が世界中で活躍して来たため、
インド人は海外に世界規模のインド人ネットワークを張り巡らしている。
在外中国人「華僑」が2~3千万人いるのに対して、
在外インド人「印僑」も負けず劣らず1千5百万~2千万人いる。
特にインドは日本が弱いアフリカ諸国とも歴史的に関係が深い。
インド人から謙虚に学び、インド人と助け合うべきだ。
◆"インドの東海道"を日本の新幹線が疾走する!
2015年末、日本とインドの関係を新たな発展の軌道に乗せるニュースで両国が沸いた。
安倍晋三首相とインドのモディ首相による日印首脳会談で、
インド初の高速鉄道に日本の新幹線方式を導入することで合意したのだ。
モディ首相は「新幹線事業はインドの鉄道に革命をもたらす」と期待をにじませた。
同時に「中国に高速鉄道をつくらせるより約40%割高だが、
我々は日印関係の多様な価値を考慮し新幹線を選んだ」と述べた。
インドネシアの高速鉄道の受注合戦で、日本は惜しくも中国の後塵を拝した。
しかし、インドは経済合理性を度外視してでも日印関係を強固にし、
中国を牽制する姿勢を示したのだ。
インド最大の都市ムンバイと工業都市アーメダバードを結ぶ約500キロを最高速度は
時速320キロで走り抜ける。
所要時間は現在の約8時間から2時間程度へと大幅に短縮される予定だ。
「ビジネスの街をつなぐ"インドの東海道"のような路線」と、
アフターブ・セート元駐日インド大使が述べるように、
沿線にはインドを代表するIT企業や自動車産業の工場が集積している。
鉄道建設にかかる総事業費約9800億ルピー(約1兆8000億円)のうち、
日本は1兆円超の円借款を供与する方針だ。
外務省の資料では、2013年度までに日本が供与した円借款の累計額は
インドネシアの4兆7220億円が最大で、2位がインドの4兆4564億円だった。
しかし、今回の高速鉄道の新幹線方式採用でインドへの供与が最大になる。
新鉄道は、インド経済の大動脈のみならず、日本とインドの経済を結ぶ大動脈となるに違いない。
さあ、古くて新しい友人インドとタッグを組み、輝かしい未来に向けて出発進行!