「日本への恩返しを『事業』でするアメリカ人」(前編)
「最高の恩返しとは、次の世代に価値ある事業を遺すことだ」(臥龍)
本日、静岡県富士宮市にある「富士山ワイナリー/Café SHIZEN」の特別ツアーに参加した。
新富士駅から送迎車で富士山麓へ向かい、ぶどう畑を歩き、ワイナリーを見学し、ワインをテイスティングし、地元食材を使った料理をいただく。
単に「ワインを飲む」のではない。
「この一本が、どのような土地で、どのような想いから生まれたのか?」
その物語ごと味わうツアーだった。
そして臥龍が最も興味を持ったのが、富士山ワイナリーの代表、アーネスト・シンガー氏だ。
■12歳で日本にやってきたアメリカ人
シンガー氏は1945年、アメリカ・ワシントンD.C.生まれ、父親の仕事の関係で12歳のときに来日。
その後、エール大学で哲学やアジア研究を学び、国際基督教大学で日本語、東京大学で日本思想、さらにエール大学大学院で日本史を研究、つまり、単に「日本に長く住んでいる外国人」ではなく、
日本の歴史、思想、文化そのものを深く学んできた人なのだ。
その後は実業界に入り、不動産、旅行、コンピューター関連など、さまざまな事業を経験後、ワインの世界に入り、海外の高品質なワインを日本に紹介する仕事に携わる。
世界的なワイン評論家ロバート・パーカー氏のアジアでの活動にも長く関わり、世界のワイン市場を知る人物になっていく。
■「甲州ぶどうがなくなるかもしれない」
転機は2003年頃に、山梨県のワイナリー関係者から、日本固有の「甲州ぶどう」が衰退していることを聞いたこと。
普通なら、「日本の伝統品種だから保護しなければ」と考えるかもしれませんが、シンガー氏の発想は違った。
「守りたいなら、世界で売れるワインにすればいい」
衰退産業を「保護する」のではなく、「世界商品に変える」という素晴らしい「第二創業」の視点に、臥龍は感動した。
■世界一流の知恵を借りる
シンガー氏は、本気だった。
フランスに渡り、ボルドー大学の世界的な醸造学者ドゥニ・デュブルデュー教授に協力を依頼。
甲州ぶどうのDNA鑑定まで行い、世界基準のワインづくりに挑戦し、2004年、「甲州・キュヴェ・ドゥニ・デュブルデュー」を開発。
さらに日本ワインをEUへ輸出するための制度上の壁にも挑み、2007年には同社の甲州ワインがEU輸出認定第1号となった。
「自社の商品を売りたい」だけではなく、「日本のワインを世界に出したい」とその道を切り拓いたのだ。
その「高き志」に、臥龍は感動した。
新富士より愛を込めて。臥龍
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