■源泉が噴き出る「間欠泉」
塩原温泉郷は、栃木県北部の活火山・高原山の麓に湯けむりを上げる温泉地。11の温泉地から形成され、古くから「塩原十一湯」と呼ばれてきた名湯である。
そのうちのひとつ、「塩原元湯温泉」は塩原温泉郷発祥の地で、806年の開湯。江戸初期には「元湯千軒」と言われるほど賑わっていたが、1659年の大地震と山津波によって温泉街は埋没。その後、温泉街の中心は下流に移動し、現在に至るが、いまだこの地に残る3軒の旅館は、いずれも濁り湯の名湯として名高い。
原生林に囲まれた「ゑびすや」は、自炊もできる小さな宿。壁も床も板張りの趣のある浴室の扉を開けると、なぜか女性が2人、入浴していた。てっきり男湯だと思っていた私は、一瞬パニックに。「すみません、間違えました!」と謝って戻ろうとすると、「お兄さん! ここは混浴だよ」と年配の女性が止めてくれた。
女性専用の浴室もあるのだが、わざわざ混浴の浴室に入りに来る女性が多いという。彼女たちのお目当ては、間欠泉の湯船。間欠泉とは、一定の周期で熱湯や水蒸気を噴出する温泉のことで、ゑびすやの混浴風呂の場合、5~6分ごとに噴き出す。
ゆでたまごの香りが漂うミルク色の白濁湯に浸かっていると、突然ゴゴゴッという音が浴室に響く。まもなく湯が激しく噴出し、湯船にそのまま注がれる。温泉が自然の恵みであることを実感させられる。
内湯は2つに分かれているとはいえ、5~6人でいっぱいになる大きさ。そんな小さな湯船で、母親の年齢と変わらない女性と混浴することに少し戸惑ったが、最初にあいさつを交わすと、一気に壁が取り払われ、たちまち温泉談義がはじまった。しまいには「こんなところに1人で来るなんて、さびしいでしょう。早く結婚しないとダメよ」と心配される始末で、本当に母親と一緒に入浴しているような気分になった。
■渓流露天と緑色の濁り湯
ゑびすやの隣にあるのが、「秘湯の宿 元泉館」。ゑびすやが昔ながらの湯治宿なら、元泉館は観光宿。レジャー客も入りやすい大型旅館だ。
だが、温泉は相当な個性派だ。大浴場「高尾の湯」は15人くらいが入れる内湯と、10人くらいが入れる岩づくりの露天風呂には、ともにゆでたまご臭がプンプンと香る緑色の濁り湯がかけ流しにされている。少しミルクを混ぜたかのような緑色が特徴で、飲み物にたとえれば、抹茶ミルクといったところ。見た目とは裏腹に、舐めると酸っぱさが舌に残る。
ゑびすやと元泉館は目と鼻の先に位置しているが、白色と緑色という特徴がまったく異なる温泉が湧いている。これも温泉の面白さだ。
■超個性的な「墨の湯」
3軒目の「大出館」は、高台に位置する秘湯の宿。大出館の名物である混浴の扉を開けた瞬間、私は感動で、しばし呆然と立ち尽くしてしまった。
「墨の湯」という真っ黒の湯と「五色の湯」というこのときは抹茶色の湯が、隣り合わせに並んでいたのだ。異なる源泉の湯船が並ぶ浴室はたまに見かけるが、ここまで見た目の特徴が異なる湯が、ひとつの浴室に同居している例は珍しい。しかも、黒と緑のコントラストが見事である。
ちなみに、抹茶色の湯は「五色の湯」の名の通り、天候によって白色などにも変化するというから、運がよければ、黒と白の湯が並ぶ光景に出くわす可能性もある。
黒い湯のほうは、鉄錆び臭とコクのある苦味が特徴。黒い湯の花が大量に舞っており、タオルも黒く染まるほど。東京湾沿岸でよく見られる黒い湯は、植物性の有機物に由来する黒色だが、大出館の「墨の湯」は、多量に含まれる鉄分に由来する黒色。全国的に見ても、「墨の湯」のような特徴をもつ湯にはまず出合えない。とても貴重な泉質である。
見た目に負けないくらい温泉成分も濃いようで、少し浸かっただけで、汗がみるみる噴き出し、体のパワーがどっと奪われていく感じがする。
たまらず湯船から上がり、あらためて2色の湯が並ぶ光景を眺めた。温泉は浸かってなんぼのものだが、大出館の湯にかぎっては、見ているだけでも楽しめる。入浴している時間よりも、温泉を眺めている時間が長かったのは、この温泉が最初で最後である。