世界最大の中国自動車市場における国産メーカーの台頭が凄まじい。2023年1~8月国産乗用車の新車販売台数は前年同期に比べ21.2%増の848万台で、市場シェアが54.2%。外資系メーカーから6.5ポイントも奪った。うち、8月の市場シェアが56.8%、日系をはじめ外資系メーカーから奪ったシェアは8.4ポイントにのぼる。
国産メーカーの代表格は言うまでもなく、本社を深圳に置くBYDだ。このBYDの快進撃がとどまらない。2020年41万台、21年73万台、22年186万台、23年1~8月179.2万台と、新車販売台数は連年倍々ゲームで爆発的な成長を遂げている。
なぜBYDが強いのか?本稿はBYDの快進撃の秘密に迫る。
中国一の電池企業を育てたい創業者・王伝福氏の夢
2011年3月、筆者はBYDが本社を置く深圳市を訪れた。同市外事弁公室及びBYD関係者の紹介によれば、BYDはもともと電池会社であり、創業者は現会長兼CEOの王伝福氏(57歳)だ。
王氏は電子分野のエンジニアだった。修士課程修了後,国の研究機関に就職し、研究員、主任研究員、研究室次長を歴任。1993年に深圳にある国有企業の社長に就任し、順調に出世の道を歩んできた。
しかし、王氏には電池分野で中国ナンバーワンの企業を育てたいという夢があった。国有企業では自分のやりたいことができないと悟った王氏は、僅か2年で国有企業の社長を辞任し、自らの夢を実現するために1995年に電池企業のBYDを創設した。資本金は250万元、うち200万元が親戚からの借金で、従業員は20人。
BYDとはBuild your dreams(あなたの夢を構築する)という英語の頭文字を取り社名にしたもので、中文名「比亜迪」は英文名からの音訳であると、関係者から説明を受けた。実に面白い社名だなと思った。
会社設立2年後の1997年に、王氏は念願のリチウム電池生産を開始した。2000年モトローラに続き、01年ノキアにもリチウム電池サプライを開始した。そして会社創立僅か7年後の2002年に、王氏はBYDを中国国内リチウム電池メーカーの最大手に育て、パラソニックに次ぐ世界シェア第2位の地位を確立させ、自らの夢を実現することができた。同年にBYDは香港証券取引所にも上場を果たした。
BYDの大胆不敵な挑戦~自動車分野参入へ
電池分野でBYDを軌道に乗せた王氏は、2002年に新たな分野に参入することを決めた。それが自動車分野だった。当時、王氏は自動車ビジネスの知識も車に関する知識も白紙状態で、車の免許すら持たない完全な素人だった。自動車参入の決断は正に大胆不敵な挑戦だ。
しかし、王氏は自分の挑戦に確信を持っていた。国民の豊かさの実現によってマイカーが普及し、国産メーカーが日米欧外資系企業の独占状態を打破するチャンスが到来すると信じていた。
王氏は約1年で自動車関係の本200冊を読破した。知識を十分に蓄えた後の2003年に、西安の秦川汽車を買収し、BYD自動車有限公司を発足した。
2005年、BYDはセダン車であるF3モデルの生産を開始し、徐々に売上を伸ばし、2007年には月産1万台を突破した。また、ガソリン車の販売促進に努める一方、2006年には電気自動車(EV)の開発に成功し、EV市場への参入を進めていた。これは米テスラのEV車「ロードスター」発表(08年)より2年も早かった。
BYDは2010年に年間販売51.9万台の実績を持って、一躍して国産メーカー最大手となった。しかし、その後、約10年間(2011~20年)の低迷期を経験した。21年からは再び高度成長期に入り、販売台数は21年75.4%増、22年208.6%増、23年1~8月82.1%増と、快進撃が続いている(次頁図1を参照)。
出所)BYDの発表により筆者が作成。
今年1~8月の新車販売台数は中国市場ではBYDが1位、世界市場では独メルセデスベンツやBMWを追い抜いて、初めて世界トップ10にランクされた。