ひところ、国会を中心に「接待」「談合」「忖度」などの言葉が、悪を体現する行為であるような使われ方で飛び交っていた。確かに、現在の状況では決して褒められた行為ではなく、世間の理解も同じだろう。しかし、そもそもの語源を辿れば、それぞれにきちんとした意味を持つものである。時代の変化と共に言葉の持つある側面だけが強調されて今に至っていることを知って話題にするのと、知らずにいるのでは違う部分もあるのではないか。
リーダーたるもの、自分の周囲にいる多くの人々の動きや感情を把握していなくてはならない。その上で、それぞれの個性に合わせた指示・命令を出すことになり、その際に相手の状況を「忖度」することになる。この言葉は、本来の意味は「相手の感情や状態を考えること」で、中国で生まれ、日本でも平安時代中期には登場している。ここで重要なのは、忖度する「相手」の立場が上位でも下位でも関係ないことだ。「上位の者の気持ちを推し量り、便宜を図る」だけのように使われている現在とは大きく意味合いが違う。
日本人本来の「和を以て貴しとなす」という優しさ、その美徳を現わす言葉の一つなのだ。それが、特定の事件により大きく印象が変わってしまったのは残念な話で、いろいろな局面で「忖度」できるリーダーには温かみも必要だ。尤も、ビジネスである以上は、忖度の結果、厳しい判断になることもありうる。
「接待」も「談合」も、「忖度」同様に本来の意味を取り違えられ、悪しきイメージで今も使われている哀しい運命を持つ言葉だ。「接待」に関して言えば、酒肴などで相手をもてなす行為自体は変わらない。しかし、本来は、中世に荘園領主などの上位に立つ者が、自分の土地の小作人などに対し、料理や酒肴を振る舞い、一年の働きをねぎらうと同時に、「来年もよろしく」という意味が込められていたものだ。その点で言えば、「よろしく」という点では同様だが、上位が下位に振る舞うものであること、相手が特定の「誰か」ではなく多数であること、この二点が大きく違っている。気持ちよく働いてもらうための、現在のボーナス代わりに宴会が社長主催で行われた、とでも考えれば良いだろう。しかし、そこで一般社員は、「今日は社長に接待された」とは現在は思わない。これも、昔ながらの日本人の知恵の一つである。昭和期に盛んに放送されていた時代劇での悪徳商人と悪代官のやり取りが、大衆に大きな影響を与えたとは穿ち過ぎだろうか。
中央高速道のサービスエリアには「談合坂」があり、東京・文京区には「団子(だんご)坂」がある。後者は文字と音が変わっただけで、意味は同じだ。そもそも「談合」とは、「大事な話し合い」の意味である。
江戸時代の農業を例に取れば、川の水が上流から下流へ流れる中で、どういう順番で誰の田んぼへ水を流していくかは生活を左右する大きな問題だ。こうした大事な問題についての話し合いは、坂の下や原っぱのような広場で行われたことが多かったようだ。人気がなく、気兼ねをせずに自分の意見が述べられる利点があるからだが、それよりももっと大きな意味は、坂の下であれば、頂上に、広場であればどこか見えないところに神様がおられ、その話し合いの一部始終を聴いている、と信じられていたことだ。こうした状況では、まさに「我田引水」のように自分の利益だけを主張することはできず、公平性が求められる。限られた仲間だけが利益に預かれるわけではなく、今使われている意味とは根本的にその性格が違うのだ。今に残る地名に「坂」が付いているのはそうした理由による。
時代が変化すれば言葉が変容するのは当然で、その中で全く使われなくなる「死語」になる物も多い。超高齢化社会の昨今、長寿を全うと言えるのは百寿を過ぎてからぐらいではなかろうか。しかし、江戸期の庶民は、六十を過ぎて亡くなることを「おめでたくなる」と言う場合があった。平均寿命が長くない時代にあって、「還暦」の祝いを過ぎるまでの命を保てたことは「めでたい」のだ。七十歳の「古稀」の語源は「齢七十、古来稀なり」である。しかし、現代で七十歳の方にそんなことを申し上げたらお叱りをこうむるだけだ。時代と共に言葉が消長する中、消えてしまったものには愛しさはあっても、無理に復活、定着させることはできない。
しかし、長い間にその意とするところが変わった言葉については、本来はどういう意味で使われていたのかを知ることは、ただ「物知り」だけではなく、かつての日本人がどういう物の考え方に依っていたのかを知る手がかりにもなる。このコラムでも繰り返し「温故知新」の重要性を述べているが、こうした言葉一つを取っても、長い時間を経ているものは疎かに扱うことはできないのだ、と改めて感じる。
こうしたことを置き去りにしてしまうか、そこに想いを致すことができるか、これもリーダーの見識の一つではなかろうか。