初期対応で成功する法則 Part1:初級編(2)
(※エスカイヤニュース2011年12月号特集 寄稿文より)
3.だから、たくさんしゃべってもらう。お客様だって良い客でいたいと思っている
怒っている心情を探るには、お客様にしゃべってもらうことです。それで、子どものために買ったというのがわかったのなら、お申し出者の父親に謝り、子どもにも謝ることで、父親の顔の泥をぬぐうことが必要です。そのことで、父親の心情は満たされるはずです。
つまり、この場合のクレーム対応としては、父親としての面目を汲んでほしい、がっかりしている不憫な子どものことをわかってほしいことの2つがお申し出者の心情ですから、商品を交換することだけがクレーム対応ではないことがわかります。
そういうこと、お申し出者の心情を理解しようとしないまま対応を続けていると、やがて「商品交換のためにここまでやって来た電車代はどうしてくれるんだ」といちゃもんを言われたりすることになるのです。そう言わせてしまったのは対応者のスキルの低さです。この場合、お客様は電車代は本当にほしいわけではありません。ただ、自分の困っている心情に対して触れてくれない鈍感な対応者に、苛立ちが高まり、対応者が困るようなことを言いたくなっただけです。だから、対応者のテクニックしだいでクレームはまとまったり、こじれたりするものなのです。
そもそも、お客様にしてもいちゃもんのような言葉、言いがかりをつけるような態度は取りたいと思っていません。実はどのお客様も『自分は良いお客でいたい』と思っています。「自分はクレーマーと思われたに違いない。もうあの店には行きづらい」と自己嫌悪に陥らないでこのクレームを解決したいと思っています。だから、お客様はあげた拳をおろすタイミングを探しているのです。その思考が理解できずに、「その電車代は、おいくらですか?」と聞いてしまうと、お客様は拳をおろせず、溝は深まるばかり。担当者の心情を満たそうとしない対応がお客様をクレーマーにしているのです。
4.その商品を使うことで得られると期待していた「豊かな思い」を得られなかったことに対応しないからこじれる
消費者が2万円の商品代金を払って製品を購入したとしましょう。その時の消費者の製品に対する2万円分の期待はどこにあるかというと、1万円は製品が約束している機能に、あとの1万円はそれを手にしたら豊かな気持ちが得られる期待にあります。
先ほどのステレオコンポにしても、世間には同じような機能の製品がたくさんあります。けれど、そのコンポは子どもがほしがっていた特別なもの。買ってあげれば、子どもは喜ぶし、父親としても株があがる。そんな豊かな思いが味わいたかったから父親は少々無理をしてでもお金を出し、時間がなくて情報を屈指して購入してきたのです。
それが壊れていたとなったら、そもそもその製品が約束していた機能は果たしていませんし、さらに期待していた、子どもが喜ぶことによる豊かな思いは味わえなくなります。つまり、クレーム対応は、故障した製品に対する対応と味わえなかった豊かな思いの修復の両方に対応をしないと失敗することになります。
ところが、かつて私も壊れた製品に対する対応ばかりを考えていたため、少しも解決ができませんでした。いつもうまくいきませんでした。もちろん、不具合の究明後、自社に原因があるなら再発防止、弁償の提案はしますが、それだけではクレームがおさまらないのはなぜかの壁に毎日ぶつかっていました。さまざまな試行錯誤や失敗を重ねた日々の中で、『クレーム対応はロジカルに理解し、テクニックを身につけなければならない』と気づき、たくさんの学びを重ねて、ようやく、「期待していた豊かな思いがかなえられなかった」ことに対応しなければならないことに気がついたのです。