世界各国で日本車の人気が高いのは周知の事実で、堅朗性、持続力、経済効率、デザイン、性能など他国の車の魅力もさておき、優れた部分は多い。その一方で、この車一台にどれほど多くの専門的かつ高度な技術を駆使して開発された部品が使われていることだろうか。
言い換えれば、日本車はロケットと同様に日本の高度で繊細な「職人技」のアセンブリの類型、とみることができる。この部分には何社のどの部品を使えば良いか、徹底的に検討を重ねた末、各社へ発注した部品を組み合わせ、一台の車が完成するまでの行程を想像しただけでも気が遠くなる話だ。更に言えば、この精密機械の完成品を元に、更に精度の高い部品や性能を加味してモデルチェンジが繰り返され、どんどん日本車の価値は高まって来た。
こうした作業に日本人が誇りとすべき「職人芸」が光るのは、自動車産業だけではない。酒、味噌、醤油などの発酵食品などは、年により違う気候がすぐにその味に影響を与える。その変化を取り入れながら、いかに「一定の味」を保つかは、職人の「勘」という時に科学技術を超えた分野での話になる。
手先が器用なことで世界的に評価が高い日本人の高度な技術のアセンブリの例を過去に求めた時に、わかりやすいには「浮世絵」だろう。一般的に「アセンブリ」という言葉は工業製品の「組み立て」などに使うのが一般的だが、このコラムではもう少し広義の意味を持たせることをお断わりしておく。
歌川広重(1797~1858)の『東海道五十三次』、葛飾北斎(1760頃~1849)の『富岳三十六景』などの風景画を始め、喜多川歌麿‘1753頃~1806)の美人画、東洲斎写楽(生没年不詳)の役者絵など、江戸庶民でも手軽に手に入れることのできる価格の浮世絵は、江戸時代の後半に全国的なブームを呼んだ。時折、地方の旧家の蔵から大量の浮世絵が発見されることがあるが、当時、各地の風景を描いた浮世絵は、嵩張らず、長旅でも腐ることもなく、価格も適度な旅のガイドブックであり、アイドルのポスターの役目も果たした。
気になるのは「お値段」で、今であれば写楽の役者絵の初摺は、保存状態の良い品であれば一枚数千万円で取り引きされる立派な美術品だ。しかし、当時の価格で見れば、一枚800円から1,000円と、小遣いの範囲で買えないものではなかった。価格の計算法には諸説あるが、江戸時代は「変動相場制」で時期により「一両」の価値が変わっている。安い時で60,000円、高い時では100,000円を超えた時もあったようだ。私は中を取って、というわけではないが「一両=80,000円」で計算をすることにしている。と言うのは、「一両=4,000文」であり、80,000円で計算すると、「一文=20円」で例示がしやすいからだ。蕎麦が一杯十六文で320円、これは今の立ち食いそばとさほど変わらない。浮世絵は、当時で四十文から五十文ということになる。
この浮世絵は、三者の「スペシャリスト」の技術のアセンブリで初めて成立するものだ。まずは先ほど名を挙げたような「絵師」が、原画を描く。次に、「彫師」が原画を写し取り、原画の線を版木に彫り込んでゆく。一枚の版木には原則一色分の線しか彫れないため、五色摺りであれば、五枚の版木を色ごとに分け、その色に必要な線だけを彫ることになる。
彫り上がった版木に色を乗せ、和紙に刷るのが「摺師」の仕事だ。何色重ねても、1ミリとずれることはない。我々が今も使っている「見当を付ける」という言葉の語源は、この重ね摺りがずれないように、版木を置く場所に「L型」の固定具を付け、これを「見当」と呼んだことに語源があるとされている。わずか1ミリの幅に、10本以上の髪の毛を彫る技術を持った彫師がいたというから、江戸期の職人たちが、今よりも遥かに不便な状況の中で、卓越した技術を持っていたことに感心するばかりだ。
尤も、ただ感心ばかりしていても、これが今の我々のビジネスにどう結び付くのか、それが見えなければ意味がない。歴史に独自の見解を持つ作家の明石散人(1945~)によれば、我々がビジネスシーンでよく使う「戦略」という言葉は、今の使い方は正しくない、とのことだ。「戦略」とは、単なる言葉遊びではなく、まず「戦術」があり、三つ揃って「鼎」のような状況になった時に、その「戦術」をどう組み合わせ、何をするかを考えるのが「戦略」だとのこと。ここで例に引いた「浮世絵」は一つの仕事の専門職による三者分業であり、「戦略」の思考ではない。ただ、一見関係のない分野や業種の技術を、いかに組み合わせ新しい物を生み出すかという発想には共通したものがある。その技術が高度になればなるほど、専門性が高くなる。
1枚5,000万円の浮世絵もあれば、数百円で買える印刷の品もある。本格的に古美術を蒐集するわけではなく、たまには近代ヨーロッパの画壇にまで大きな影響を与えた「浮世絵」の発想から、何を受け取り、何が生まれるのかを考えるのは、決して高い投資ではないように思う。