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- 故事成語に学ぶ(49) 未だ木鶏(もくけい)に及ばず
真の強者とは
紀渻子(きせいし)という男が、周の宣王のために闘鶏を飼っていた。十日たったころ、王は紀渻子に尋ねた。「どうだ、もう闘えるようになったか」。彼は答えた。
「まだまだだめです。空威張りして気負い立つばかりです」
十日して王がまた聞いた。また、答える。
「まだだめですね。相手の姿を見たり声を聞いたりするだけで奮い立ってしまいます」
さらに十日。王はじれてきて尋ねた。答える。
「まだです。相手をすばやくにらみつけて奮い立ちます」
そして十日。「どうだ」と聞かれ紀渻子は、ようやく、
「もう、完成が近いですね」と答えた。
「いくら他の鶏が騒ぎ立ててもぴくりともしません。遠くからうかがいますと、まるで木彫りの鶏のようです」
向かってくる鶏はなく、ただ逃げ帰るばかりとなった。騒かず動じず、まさに木鶏の境地に至ったのである。これを真の強者という。
双葉山の心境吐露
昭和を代表する不世出の名力士、双葉山が横綱になる前、陽明学者の安岡正篤(やすおか まさひろ)と宴席をともにしたことがある。飛ぶ鳥を落とす勢いで出世の道を駆け上がる双葉山に安岡は言った。「君もまだまだだな」。
「どこが足りないのでしょうか」と、真顔で問う双葉山に安岡は、『荘子』『列子』にある木鶏のエピソードを話し、「君はたしかに強いけれど、その境地に至っていない」と諭した。
無礼ともいえる指摘を黙って聞いていた双葉山は、安岡に「木鶏」の揮毫を依頼し、その書を部屋に飾り、毎日その前に静坐して真の強者になることを誓い、稽古に精進した。
時は過ぎて、昭和14年一月場所四日目。69連勝中の横綱双葉山は平幕の安藝ノ海の外掛けに敗れた。
この時、安岡はヨーロッパへ向かう船の上にいた。インド洋を航行中の安岡にボーイが一通の電報を持ってきた。双葉山からだった。ボーイは、「電信を忠実に訳したのですが、意味がよくわかりません」と手渡す。文面にこうあった。
「イマダモクケイニオヨバズ」(未だ木鶏に及ばず)。安岡は、双葉山が敗れたことを悟った。
その夜、出身地、大分県人会の激励会に横綱はいた。70連勝を目前にした無念の敗戦だったが、「横綱は平然、堂々としていて神々しいほどだった」と出席者は語り継いでいる。
69連勝の偉大な記録は、いまだに破られていない。
ホンモノのたたずまい
双葉山の連勝記録に次ぐのは、白鵬の63連勝だ。双葉山の記録を追う連勝を稀勢の里に阻まれたとき、白鵬は控え部屋で、「未だ木鶏たりえず、かな」と双葉山の名言をつぶやいている。
11月の九州場所で白鵬は43回目の幕内最高優勝を飾った。他の追随を許さぬ大記録だが、その圧倒的強さに、何かひとつ物足りなさを感じるのは、筆者ばかりではあるまい。
横綱審議委員会は九州場所直後に、白鵬の取り口についてクレームをつけた。張り手、そして右ひじの二枚のサポーターで威力を強化したプロレスばりのカチ上げを連日繰り出していることに対してだ。委員会は「横綱として見苦しい。43回の優勝は史上最高の実力者で大横綱になっていると思うが、名横綱と言われる存在になってほしい」と相撲協会に指導を要請した。
指摘を受けた白鵬は、「勝たなくては生き残れませんから」と意にも介さない。
「勝てばいい」という勝利至上主義は、ホンモノの強者、木鶏にはほど遠い。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『荘子 外篇』金谷治訳 岩波文庫
『列子 上』小林勝人訳注 岩波文庫
『人物を修める』安岡正篤著 致知出版社