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挑戦の決断(25) 藩閥政治の打倒(原 敬)

指導者たる者かくあるべし

 初の政党内閣
 1918年(大正7年)9月、帝国議会の衆議院第一党だった立憲政友会の総裁・原敬(はら・たかし)が首相に就任した。組閣に取り組んだ原は、陸海軍大臣、外務大臣以外の閣僚を政友会党員から起用した。議会内の最大勢力が内閣を組織し、政党の責任で国政を遂行する。今なら当たり前のことだが、初代首相・伊藤博文以来、19代目にして初めてのことだった。今に繋がる政党政治の幕開けである。
 明治維新が成し遂げられた後、政府は富国強兵策を推し進めたが、政治の近代化は45年間の明治の治世を終えても進まなかった。政党は存在しても明確な綱領もなく、政治ボスが利害関係で結びついた集団でしかなかった。そこにつけ込むように元老の山県有朋(やまがた・ありとも)は、自らの出身地長州閥が牛耳る陸軍の力を背景に明治維新の功労者たちによる藩閥官僚組織を率い、天皇の大権を振りかざしてほしいままに内閣を事実上指名し政治を牛耳っていた。
 原は、戊辰戦争で賊軍の汚名を着た盛岡藩士の家系で、苦学して外務官僚を皮切りにジャーナリストの世界を渡り歩いている。
 彼は、明治時代の政治の欠点を正確に見抜いていた。軸となる政党が弱体で、民意が正確に汲み上げられていないということだ。
 
 山県政治との対立と懐柔
 明治30年9月に大阪毎日新聞に入社した原はやがて社長となり社説を執筆した。同32年7月に社説で政党内閣制導入を強く主張している。
 「立憲政治の下にある内閣は、議会の多数を制しなければ内閣を維持できない。政党内閣とは、議会多数党の党員によって組織されるべきで、議会の多数を失えば、多数を制した政党に政権を譲るべきものだ」と欧米流の議会制民主主義の原則を説き、現存の政党については、「欧米における政党とは大いに違っていて、主義も綱領もはっきりしないではないか」と批判し、「今の課題は、政党を政党らしく発達させ、政党内閣を定着させることだ」と結論づけている。
 この時まさに原は政治改革の実現を決断した。2年後、山県と対立していた伊藤博文が立憲政友会を立ち上げると、新聞社長を退いて参画した。初の政党内閣を発足させる18年前だった。
 元勲として明治後半期の政界を牛耳り国防優先政策を推進した山県有朋は毀誉褒貶の激しい人だが、その言動からすれば、政党など無用の長物と考えていた節がある。選挙、議会制度も民意を吸い上げる場ではなく、政府の意思を国民に周知させる場とみなしていたようである。
 山県にとって自由民権運動も、社会主義運動も取り締まりの対象でしかない。〈自分が率いる藩閥勢力以外に国政の重責を担えるものはいない〉という歪んだ自負心を隠さなかった。工作を弄して、議会制民主主義の発展を模索する伊藤博文さえ不要となり、立憲政友会の総裁から退かせた。後釜の総裁に据えたのは、公家出身の西園寺公望(さいおんじ・きんもち)で、山県は外野からいいように嘴を突っ込み操縦する。
 この頃の西園寺を支えたのが政友会ナンバー2であった原である。強引な山県とことを構えるのを避け、西園寺を立てつつ微妙な駆け引きで渡り合い、山県が仕掛ける党の分裂を防いだ。
 言わずもがなだが専制的な暴君と対処するのに喧嘩を仕掛けるのは愚策である。相手の弱点を探りつつ、自滅を待つ。そして原は時を待った。
 
 熟柿は墜ちるのを待つ
 そして時は来た。
 山県流に軍備拡張を進めるには、増税が不可欠となる。庶民の不満は高まる。殖産興業政策を進めると産業労働者層が膨らみ、労働紛争が不満の吐け口となる。ロシアでは帝政打倒の革命運動がうごめいていた。山県式に弾圧を強めれば、爆発を招きかねない。
 こんな時勢の中、民意をいかに汲み上げるかについて、思想界でも大きな関心が持たれるようになる。東京帝国大教授の政治学者・吉野作造(よしの・さくぞう)は、大正5年(1916年)1月号に、〈民本主義〉に関する有名な論文を書いた。
 吉野の言う民本主義は、〈政治の目的は一般民衆の利福にあり、政策の決定が一般民衆の意向によるべきだ〉と言うものだ。この論文の登場が民衆の大きな支持を受けた。大正デモクラシー運動の幕開けである。
 さらに富山から始まり全国に広がった米騒動が強権政治批判に拍車をかけた。第一次世界大戦で食料の輸入が滞り、米の価格があっと言う間に二倍になった。山県が首相に指名した陸軍閥の寺内正毅(てらうち・まさたけ)内閣は有効な手を打てず、暴動は全国に広がりつつある。
 窮した山県は、藩閥人脈間での政権工作を模索する。あるいは西園寺に組閣させるか。
 しかし、原は、政友会から積極的に政権打倒に動くことを周囲に禁じた。
 〈現内閣の生命はもはや長きものにはあらず。しばらく静かにしていれば自滅する。その時期は決して遠い先ではない〉
 山県は影響力を残したままでの条件付き政権移譲を、政友会総裁に就任していた原に交渉を持ちかける腹づもりだった。だが政友会の動きがないことから無条件で原に政権を明け渡さざるを得なくなる。藩閥勢力を排除した初の政党内閣の誕生となった。
 長年の夢が目の前に見えたとき、焦ってはいけない。準備さえあれば、〈熟柿は墜ちるのを待て〉なのだ。
 原内閣は3年続いた。原は在任中に暴漢に暗殺されるが、山県の強引な藩閥政治は幕を下ろすのである。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『日本の歴史23 大正デモクラシー』今井清一著 中公文庫
『原敬と山県有朋』川田稔著 中公新書

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