ソ連が米国の庭先にあるキューバに核ミサイルを持ち込むという危機を目の前にして、米国大統領ケネディは、人類の存亡をかけた重大な判断を問われた。
「武力行使は行わず外交的にミサイルを撤去させる」との意思を固めていたが、軍部と国民の納得を得るためには慎重な作業が必要だった。
話は遡ってアイゼンハワー政権末期の1960年6月、キューバのカストロは、国内の米英系の石油精製所を国有化し社会主義化を進める。放置すれば周辺諸国に社会主義が蔓延する。
アイゼンハワーは、亡命キューバ人と共同での侵攻作戦を立案して極秘に準備を進める。
翌年1月、政権を引き継いだケネディは就任早々、中央情報局(CIA)と統合参謀本部から、侵攻作戦の許可を求められた。
ケネディ自身、前年の大統領選挙の過程で、軍事侵攻を「好ましい選択」として容認の姿勢を見せていただけに対応に苦慮した。
考慮の末に、米軍は直接に関与しないという条件で許可した。結果的に同年4月、米軍の支援なしにピッグス湾に上陸した約1,500人の亡命キューバ人部隊は撃退される。
CIAは米空母からの空爆支援を要請するがケネディは言下に拒否し、作戦は失敗した。
この時の煮え切らない態度が広く米国民の中に「弱腰大統領」のイメージを定着させた。
翌月には、二年間のケネディ政権が評価される議会の中間選挙を控えていた。
その中で迎えたキューバ危機だ。「あの時、キューバを叩いていれば」の世論を巻き起こし与党の民主党の惨敗はまぬがれない。
悩むケネディは、司法長官に任命し政策立案の中枢を任せていた弟のロバートを呼んで、「国民に情報を伝える前に、方策をまとめ上げてほしい」と託した。
ロバートは、自ら取り仕切る「最高執行会議」(EXCOM)三日目の10月18日の会議で五つの選択肢を示した。
①同盟国とラテンアメリカ諸国の指導者に通告したあとミサイル施
設を爆撃する。
②フルシチョフ(ソ連首相)に警告したあとでミサイル施設を爆撃する。
③キューバ侵攻の決意をソ連に通告する。
④米ソで政治的予備会談を開き、ミサイル撤去の合意に失敗すれば大規模空爆と軍事侵攻を実施する。
⑤予備会談なしに大規模空爆と軍事侵攻を実施する。
もしあなたが弱腰批判と核戦争回避のはざまで揺れる大統領なら、どれを選ぶだろうか。 (この項、次週も続く…)