「大統領、これを見てください」。1962年10月14日朝、ホワイトハウスの大統領執務室に、スパイ偵察機がキューバ上空から撮影した数百枚の写真が持ち込まれた。
それは若き大統領、ジョン・F・ケネディに衝撃的な事実を告げていた。フロリダから目と鼻の先にあるキューバに米本土への核攻撃が可能な弾道ミサイル基地が建設中であることを示していたのだ。核兵器搭載可能なソ連製の爆撃機21機も写っていた。
東西冷戦まっただ中の1959年、フィデル・カストロに率いられたキューバ革命軍が親米バチスタ政権を倒し、社会主義政権を樹立していた。
ミサイル基地建設が発覚した前月の2日に、ソ連のフルシチョフ書記長はカストロとの間で「帝国主義の脅威に対抗するため」の対キューバ軍備支援を明確に打ち出していた。
しかし、米国の情報当局は、「ソ連の軍事支援はあくまで防衛軍備に限られている」と繰り返し大統領に伝えていた。
チャーチルの項でも触れた「思い込みによる錯誤」だ。
キューバに攻撃用武器を持ち込むことは、米ソ戦争を引き起こす。しかも核兵器の配備は核戦争につながることは必至だ。
「いくらソ連でも、米国の庭先でそんな馬鹿なまねはしないだろう」という思い込みが米側にあった。しかし、それは裏切られた。
「何ということだ」と、ケネディは怒りに震えながらも、決断していた。
キューバでの攻撃用ミサイルの存在は認められない。すべてのミサイルを撤去させる。そのための交渉を行うが、武力は使わない。
「武力行使は核戦争を招く」。それだけは避けたかった。それは地球の破滅を意味した。
ケネディは、報告内容を極秘とした上で、情報の精査を命じた。核ミサイル持ち込みが間違いないとなった二日後の16日、ホワイトハウスに国防省、国務省の両長官、CIA長官、統合参謀本部議長ら危機管理のトップメンバーを集めて「最高執行会議」(EXCOM)を立ち上げ、「核ミサイル持ち込みの理由とミサイル撤去の方法の検討」を指示した。
初日の会議では、軍関係者らが「武力攻撃」を強く主張し、「平和的解決」を献策する国務省との間で意見は激しく対立する。
軍部の強硬論には複雑な理由があった。1961年の就任以来、ケネディがとってきた微温的な対キューバ政策への反発だ。
手のうちが読めないソ連だけでなく、身内にも見えない“敵”を抱えていた。
この日から、人類を破滅から救うための13日間の戦いが始まる。 (この項、次週も続く…)