平時のリーダーシップと有事のそれとは根本的に異なる。 有事に求められるのは、
①素早い決断とその実行のための組織づくり
②決断を組織末端まで徹底させるコミュニケーション術
③大局を俯瞰(ふかん)して判断する戦略眼
の3点に集約できる。
組織づくり。平時においては、まず不動の組織があって、各組織が決められた役割を分担することですむ。
有事にあっては、膨大で緊急を要する実務を見極め、それに見合った組織を生み出す大胆さが肝要だ。
「その権限はうちの組織にはありません」。どこにでもありがちな硬直した組織運用では有事には無責任体制となる。組織が実務を縛るのではなく、必要な実務が組織を生み出さなければならない。
チャーチルは内閣を組織するにあたってまず国防省を置き、首相自らが国防相を兼任した。戦争指揮系統を簡素化し①と②を可能にした。
さらに必要に応じて柔軟に、軍事生産委員会、戦車評議会、航空機生産省、英米合同原材料庁、英米船舶輸送調整庁などを組織し、膨大な行政需要に効果的に対応していった。
ある意味、ヒットラー、スターリンと同じく戦時独裁的体制を敷いたのだが、チャーチルは大いに違う点があった。
議会を重視し、議会に説明し議会の議論を経て、ものごとを民主的に決定していった。
指示、指令も上から下への一方的なものではない。各組織から情報を上げさせ、迅速に処理した。彼の行く所、決裁書類が大きな箱に詰められ付いて回ったとされる。
「情報は必ず文書で上げろ」は当然としても、「すべてペーパー1枚に要約するように」と指示した。
目を通した膨大な書類のうち、緊急を要するものには、「即日実行」の付箋がつけられ戻された。決断と実行は速度が決め手となる。
こうして英国が「ブリテンの戦い」という孤独な防衛戦を継続する中で、ヒットラーは英国本土上陸を断念し、1941年6月に突如、独ソ不可侵条約を破ってモスクワ攻略に向かった。
あわてふためき必死で持ちこたえるスターリンからチャーチルに要請が届く。「英国はフランスに再上陸して第二戦線を開くべきだ」
「時ではない」
チャーチルは勝利のためのさらに大きな戦略を思い描いていた。 (この項、次週に続く)