【意味】
学問をすれば知識が広がり、頑固にならず柔軟な思考になる。
【解説】
筆者は若い頃、「同調者探しの読書姿勢」に苦労した思い出があります。同調者探しの読書をクセにしますと、自分の思想に適合した類の本しか読めません。
人間学を学ぶ上で代表的な書物は、春秋戦国時代の諸子百家の思想の『老子』『論語』『韓非子』の3冊になります。老子は天地自然に沿った「無為自然の生き方」を説き、論語は一回り小さな人間社会の「思いやりの思想」を説き、韓非子は組織を刑罰や法律で縛る「人間不信の思想」を説きます。中でも論語と韓非子では人間に対する信頼感が180度違い、前者は「人間の善意説」を、後者は「人間の不信説」からその思想をまとめています。
若い頃この3冊を読みましたが、どうしても韓非子が読み切れません。読んでいるうちに著者に対しての怒りが込み上げ、「このような人間不信の統治学を身に付けた人物を世に輩出しては、統治される人民が不幸になるのでは・・」と考えた次第でした。
何とか読み終えて『人間学読書会』で取り上げてみますと、当初の思い込みとは違い、現代社会の指導者にはむしろ適合する思想であると考えるようになりました。
一般論として、学問は学ぶだけ知識見識が広がり、柔軟な考え方が身に付きます。そのためには、読者としては著者に敬意を払い謙虚な姿勢で取り組む必要があります。
どのようにしたら謙虚な姿勢で学べるのでしょうか。一例をあげますと、書物の「はしがき」や「あとがき」を読んで著者の苦労を慮りながら、謙虚な読書を心掛けることです。
自分の読解力の不足を棚に上げて、著者の文章や表現力を批判して、最後に「大した本ではなかったから読むことを止めた」と言い訳にするようでは、一流の読書人とは云えません。
本稿のような文章を書くにも数冊の辞書のお世話になります。
辞書に目当ての項目の掲載が無い場合には、どうしても不満を抱きがちですが、一冊の辞書が永年にわたり時代に適合する内容を維持するには、数年周期の改訂作業という関係者の無尽蔵の努力があるのです。
日本の代表的な辞書である『広辞苑』(新村出編・岩波書店)をこの角度から改めて見つめてみますと、日本の文化を支える貢献度の大きさを感じます。そして感謝の念を以て使わせていただく気持ちになります。
高校野球でも甲子園に出場するようなチームの選手からは、「両親や監督・チームメイト・関係者などに感謝する」というコメントが必ず出てきます。逆に云えば「感謝の練習」ができるから柔軟な対応の出来る強いチームに育ったとも云えるのです。
感謝の学びや練習は読書や野球に限ったことではなく、人間が成長する過程においては大切なことですから、洋の東西を問わず次のような諺があります。
「実るほど頭の下がる稲穂かな」(俗諺)
The boughs that bear most hang lowest.(実のなる枝ほど低く垂れる)