明治日本が本格的に国際舞台に踊りでた日露戦争(1904-1905年)。旅順の203高地の奪取戦、奉天会戦での勝利、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた日本海海戦という陸海軍の活躍にばかり焦点があたる。
しかし、アジアの一新興国がヨーロッパの大国ロシアを破った最大の要因は、膨大な戦費の調達をめぐるもう一つの“戦い”であった。
その戦いを託されたのは、一人のバンカー、高橋是清(後蔵相、首相)だった。数々の試練を乗り越え救国の使命をやり遂げた彼の冷静で大胆な知恵と機転がなければ、今の日本はなかったといっても過言ではない。
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日銀副総裁の高橋是清が「重要な話がある」として総裁室に呼ばれたのは、明治36年(1903年)11月10日のこと。日露開戦の三か月前である。新任総裁の松尾臣善(まつお・しげよし)は、内密の話としてこう告げた。
「朝鮮・満州問題をめぐる日露の交渉が思わしくない。万一両国開戦となれば、日銀としては軍費の調達に全力を注がねばならない。国内の支払いは兌換券の増発によってなんとかなるとしても、軍器軍需品の多くは外国から購入せざるを得ない。これは正貨で支払わねばならぬから、十分研究しておいてくれ」
正貨とは金のことである。金本位制では金の保有が国内外における国家財政の信用度の尺度である。日清戦争では、軍費調達のため多くの金が海外に流出したため、終戦2年後に導入した金本位制の安定に苦労した。