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挑戦の決断(41) 新しい国の形を求めて(徳川慶喜・上)

指導者たる者かくあるべし

「二心殿」の本意

 近代日本に向けての激動の揺籃期である幕末史をひもとくと実に奇妙な一人の男に出くわす。徳川幕府十五代、最後の将軍・徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)だ。朝廷と幕府の妥協「公武合体」を目指しながら、勤皇倒幕派との政治闘争に敗れると、あっさりと武装闘争を放棄して自ら幕府政治に幕を下ろす。「開国」と「攘夷」との間で言動は揺れ、本心がどこにあるのかわからない「二心殿」というありがたくない異名で呼ばれた。
 しかしこうした慶喜に対する悪評は、軍事クーデターで政権を簒奪した明治維新政府が新政府樹立後に「勝者の歴史」として流布したもので、額面通りに受け取るわけにはいかない。
 幕末の史実を丹念に読み解いていくと、彼ほど250年にわたって国を支配してきた幕藩政治の制度疲労を見抜いていたリーダーもいない。列強の圧力によって近代へのとば口に立たされたこの国を最小限の人的犠牲によってスムーズな政権移譲に導いたのは、慶喜の決断によってもたらされたといっても過言ではない。
 望まずして最後の将軍位に就いた彼の本意について3回にわたり考えてみたい。

開国への強い決意と攘夷の方便

 文久3年(1863年)3月、第十四代の将軍、徳川家茂(とくがわ・いえもち)は上洛し、宮中に参内した。江戸時代を通じて、政権の権威である天皇と、実質的権力を握る将軍が微妙なバランスで国家を運営していた。権力バランスで見ると政権運営能力がゼロの公卿たちが仕切る朝廷は、幕府の前にひれ伏していた。将軍が上洛するのは第三代家光以来、230年ぶりのことだった。
 孝明天皇(明治天皇の父)は、長州藩などによる「勤王攘夷」世論の盛り上がりを受けて家茂を京都に呼びつけ攘夷の実行を迫る。
 この時、慶喜は一橋家の当主として将軍後見職にあった。幕府は先立つこと9年前に、ペリーの砲艦外交に屈して日米和親条約を結び開国に踏み切っていた。朝廷は、「勅許を得ずに結んだ条約は無効だ」として、〈破約攘夷〉を幕府に迫っていた。
 慶喜は合理的な男であった。現実を見通しての開国論者だ。朝廷との抗争を恐れて及び腰の幕閣に対して、「攘夷の実行は現実的に到底困難」と論じ説得を試みたが成就せず、一度は後見職の辞表を提出している。
 しかし老中たちは、「攘夷論で朝廷に楯突けば、諸藩の倒幕運動に火がつく」とうろたえるばかりで聞く耳を持たない。結局、慶喜も、朝廷の破約攘夷論を奉じ、実行を先送りすることで妥協した。軟弱な家茂に判断能力はない。慶喜は難題を先送りする形で妥協を図った。攘夷を方便として受け入れることで事態の収集を図ろうと試みた。そして家茂の上洛に先立って同年正月に京都入りする。
 公卿たちの中にも現実的開国論者は数多くいた。急進的攘夷論は若手公卿たちに多く、国学思想にかぶれた長州藩士らがそれを煽る。できもしない〈空想的攘夷論〉である。先乗りした慶喜は、若手公卿の拠点となっていた学習院へ説得に乗り込む。行動は早い。
 「外夷を拒絶すれば、事変(戦争)となるのは必定。隣国の中国がその後、どうなったかを正しく見よ」と強い言葉で尊王攘夷派を批判した。正論である。
 だが、市中ではテロリスト浪士が跋扈し、開国論者の暗殺が相次いでいる。誰も開国論を公言できない時代の空気があった。あまたの歴史小説では、あるいは教科書でも、彼らを「勤皇の志士」と表現して持ち上げるが、武士の魂である刀を凶器として振り回すテロリストたちである。そうした蛮行が、自由な言論を封殺し、「鬼畜米英」という実行不可能な攘夷論に国民を誤導したその後の歴史も同じである。

暗愚の将軍と頑迷な天皇

 さらに時代を誤導したのは、孝明天皇と取り巻きが頑迷に「攘夷」にこだわったことである。攘夷を叫ぶことで、家康以来屈服させられてきた朝廷の地位を高め、権力構図を逆転させることに生き甲斐を見出していたとしか思えない。
 家茂に「攘夷決行」の勅書を下した孝明天皇は、さらに将軍に屈辱を強いる。四日後、下鴨・上賀茂両社への行幸に家茂を供奉させた。天皇の鳳輦(御輿)に徒歩で付き従う将軍の姿は、両者の力関係の逆転を衆目に晒す見せしめだ。
 続いて一か月後には、天皇は攘夷祈願のために武の神、石清水八幡宮に行幸することになり、またしても家茂の供奉を要求する。「攘夷決行の先頭に立て」という天皇から将軍への命令のセレモニーである。
 「これでは、将軍の権威は血に落ち、討幕運動に火をつけることになる」と考えた慶喜は一計を案じる。家茂に「風邪による発熱」と嘘をつかせて供奉を拒否させた。そして代役を務めた慶喜も、八幡宮のある男山の麓で、腹痛を訴えて供奉の行列を離れたのだ。慶喜一世一代の大芝居である。
 やがて、英仏蘭米の四国艦隊を迎え討った長州藩は、近代的艦載砲の猛攻の前に完敗し、攘夷を煽りに煽った長州藩は京都から追放され、朝廷は、幕府に長州征討を命じるのである。
 時代は、慶喜の読み通りに動いてゆく。(この項、次回に続く)

 (書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com

 

※参考文献
『徳川慶喜 最後の将軍と明治維新』松尾正人著 山川出版社
『明治維新の正体』鈴木荘一著 毎日ワンズ
『日本の歴史19 開国と攘夷』小西四郎著 中公文庫

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