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- 逆転の発想(5) 実現のためには完璧を追求しない(英本土防空作戦の教訓)
長期消耗戦を避ける智恵
中国を中心に感染が拡大している新型コロナウイルスの対策は後手に回っている。当初、感染の実態を隠蔽しようとした中国当局は論外だが、世界保健機関(WHO)も緊急事態宣言を出し渋り、1月30日にようやく宣言に踏み切り各国の対応を促した段階で、感染者は世界各国に広がり1万人に届く勢いだ。
日本政府の対応も風評被害を恐れるあまり、迅速とは言えずかえって不安を煽っている。
いずれも危機管理の原則を逸脱している。原則とは、事実を速やかに正確に公表し、最悪の事態を想定し直ちに最大限の危機管理体制を取ることにつきる。感染症との戦いは軍事作戦と共通する。「敵の出方を見極めてから」、「人心を動揺させないように」などと、必要な攻撃を躊躇している間に、敵は深く侵攻し手に負えなくなる。軍事において守る側が長期消耗戦に突入して勝てる道理はない。
中国の古代の兵法書である『孫子』の作戦篇にある。〈兵は拙速を聞くも、未だ巧遅をみざるなり〉(戦争においては多少拙い点はあっても迅速に対処すべきで、完璧を期す間に戦いが長引き勝利した例はない)。肝に銘じるべきである。
ドイツ軍上陸阻止とレーダー開発
危機管理を考える上で、第二次大戦でナチスドイツの英国本土上陸を阻止した英国の戦い(バトル・オブ・ブリテン)は大きな教訓となる。
1940年、開戦以来、破竹の勢いで進撃するドイツ軍は、オランダ、ベルギー、フランスを落とし、英国上陸は時間の問題と見られていた。英国首相のチャーチルは、ドイツ軍の侵攻を阻止する決め手は、英本土上空の制空権の確保だと見抜いていた。制空権を奪われれば、空軍力に援護されて対岸から兵士を積み押し寄せるドイツ軍の艦船を阻止する手立てはない。まさに水際作戦に乗り出す。
チャーチルから対策を任された空軍大将のダウディングは、レーダーに目をつけた。対岸のドイツ軍の飛行場と英国海岸との間はわずか100キロ。その出撃を1秒でも早く察知する必要がある。レーダー技術はまだ未完成だったが、彼はこの新技術を使った防空網システムを急ぎ組み立てた。
レーダー技術開発に従事する科学者たちの間に合言葉があった。それが、「早期実現のためには完璧さを求めない」だった。
完璧なものは最良に違いないが、実現可能性はない。次善のものは実現できるが、使うべき決戦までに間に合わない。三番目に良いものを採用して、できるだけ早く実現する。理想と実用のはざまで技術者たちが一致した「逆転の発想」だ。
当初は、低空で侵入する敵機を把握できなかった。敵影を補足できてもその機数、規模がわからない。運用しつつ、技術的改善を進めて行った。「実用は発明の母」である。
システム全体を考える
ヒットラーは、海が荒れる冬までの上陸を命令し、秋口までに英空軍を壊滅させることを目指し、同年7月10日から優勢な空軍力を総動員して英国上空に殺到した。
結果的に英空軍の戦闘機部隊は11月中旬まで奮闘し、多大な犠牲を払いながらも水際からロンドン上空で互角の空中戦を展開した。ヒットラーは上陸作戦の翌春までの延期に追い込まれる(結果的に断念)。
英国の防空戦略の成功の要因として、まず実戦に投入し現場で改良を重ねたレーダーの貢献は大きかったが、そればかりではなかった。各地の戦闘機部隊を統合司令部で一元的に管理し、さらに、それまで陸軍所属だった高射砲部隊も空軍に移管し、ダウディングが、統一したシステムとして指揮する体制をとる。
その決断は、首相のチャーチルが下した。そしてチャーチルは、全てをダウディングに任せ、その後の運用には一切口出ししなかった。権限委譲と信頼、まさにリーダーシップの教科書だ。
チャーチルはというと、空襲で大きな被害を出したロンドンの市街へ出て市民たちを見舞い、ドイツ軍の上陸予想地点の海岸守備隊を連日訪問して激励する。ラジオ放送を通じて、苦しい戦いであることを死傷者、失った航空機の数を包み隠さず伝えた上で、「この防空戦が、英国の存亡を賭けた戦いだ」と幾度も強調し、国民の士気を鼓舞したのだ。
今回の新型コロナウイルス騒ぎでも、中国の李克強首相が多くの感染者を出している武漢の病院を訪ね、医者たちを激励した。しかし、「武漢、がんばれー」と拳を突き上げて連呼する首相の映像を見て思う。
公表されている数字は本当ですか? 政府は、激励に見合う対応を取っているのですか? 防疫システムは機能しているのですか?
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』野中郁次郎ら共著 日経ビジネス人文庫
『チャーチル』河合秀和著 中公新書
『孫子』浅野裕一著 講談社学術文庫