長州征伐
幕末の混乱期における諸勢力の離合集散は、衰退しつつある徳川幕府の権威を見切っての政局の主導権争いだ。勤皇か佐幕か、開国か攘夷かはそのためのイデオロギー上の対立軸の模索であって、現実的には、いかに政治闘争に勝ち残り新しい国の中心に自らの勢力を置くことができるかという権力闘争である。
朝廷は、幕府の権威をどう削ぎ権力を奪還するかに最大の関心がある。思いは同じ長州と薩摩両藩はそれに乗じて朝廷に食い込もうとする。とくに長州藩は、孝明天皇が拘り続ける「攘夷実行」の先頭に立つことで「玉」(天皇)を取り込めると踏んだ。そして1963年(文久3年)5月10日、長州は、関門海峡を通行する外国船を砲撃する。ここに日本の内政に列強が関与する口実を与えることになる。パンドラの箱が開いてしまった。
攘夷を命じた天皇も外国の脅威の前に揺れ始める。この時点で開国論に立っていた薩摩藩は京都守護職についていた会津藩とともにクーデター(文久の政変)を起こし長州勢力と宮中の攘夷派を京都から放逐した。一方の幕府は朝廷の歓心を買うために方便として攘夷を奉じていたので、現実的な「開国条約の実施延期」に動いている。
政局は複雑なねじれを見せていた。この時点で徳川慶喜は将軍後見役の辞表を出したが、かえって天皇から禁裏(御所)御守衛総督に任じられている。
巻き返しを図る長州藩は、軍を京都に進めるが、慶喜が指揮する幕府軍と西郷隆盛の薩摩軍がこれを撃退する(禁門の変)。なにがなんだかわからない展開だが、政治闘争として、各勢力は混乱期の主導権獲得に必死なのだ。
「過激な長州を許さず」で朝廷と幕府は一致、幕府は長州藩征討を各藩に号令した。これが第一次長州征伐である。
最後の将軍職に
頭を柔軟にしてみないと、どことどこが手を握り、あるいは対立するのかわからない。それが幕末史の複雑さだ。
幕府軍が長州に向かうのと機を合わせてイギリス、フランス、オランダ、アメリカの四国艦隊が下関を砲撃している。また、長州藩では、京都に攻め込んだ三人の家老に死を命じて、朝廷への恭順姿勢に転換している。これを幕府は幕府権力強化のチャンスとみて、参勤交代の復活など幕府の威信の強化に動いている。
慶喜にしてもこの時期、幕府とイコールではない。1865年(慶応元年)2月、老中の阿部正外(あべ・まさと)らが兵を率いて京都に入り、慶喜、京都守護職の松平容保(まつだいら・かたもり)らに江戸へ戻るように求めている。朝廷に接近する慶喜らに疑念を抱き始めた。慶喜は、「禁裏守衛の職は朝廷から任じられたものである」としてこれを拒否している。
筋を通しながら、慶喜は混乱した政局の落とし所を探る。ぐらぐらと決心が揺れる「二心殿」の悪評も慶喜の専売特許ではない。朝廷も幕府も長州も薩摩も激動の時代に揺れている。揺れる先に見据えているのは、だれもが幕藩体制に変わる新しい政治体制であった。
朝廷への恭順の意思を示す長州藩だが、幕府への憎悪と抵抗の意思はより強固なものとなる。軍備をさらに強化している。幕府は1865年5月、第二次長州征討を発令した。しかし、密かに薩長盟約を結んだ薩摩から武器支援を受けた長州の抵抗は強く、幕府軍は各地で苦戦する。その最中、征討軍の指揮をとっていた将軍・家茂は大阪城で急逝する。21歳の若さだった。
後継に押された慶喜は、徳川宗家の相続は受け入れたが、将軍職への就任は一旦、保留する。しかし、将軍職空位を理由に薩摩藩の島津久光は、「幕府廃止」を声高に叫び始める。同年12月5日、慶喜は将軍職を拝命した。徳川幕府第十五代、最後の将軍である。
諸侯会議の夢
幕府体制が死に瀕していることは、慶喜自身がもっとも熟知していた。宗家相続にあたっても側近にこう漏らしている。「もはや、徳川家を維持することは覚束ない」。また、幕末一の英明藩主で慶喜が政治指南を受けた越前の松平春嶽(まつだいら・しゅんがく)にも前年に、「幕府の威信回復は不可能」と書き送っている。
将軍職を引き受けるにあたってその春嶽に、事態の立て直しについて相談した。春嶽は朝廷と幕府が協力して政治にあたるべきだと主張する〈公武合体〉論者である。春嶽は答える。
「公武合体のもとで、有力諸藩による諸侯会議を起こし、万事公論の上で政治決定を行うしかないだろう」。
慶喜は、うなずき大いなる賛意を示したという。しかし、諸侯会議に一定の理解を示しつつあった薩摩藩は、「諸侯会議を開くなら、徳川を外すべきだ」と、藩論を倒幕に大きく舵を切る。
その後、大政奉還の決断を下す慶喜は、徳川専制から諸侯合議体の新しい政治体制を夢みた。しかしもはや倒幕の動きは止めようもなくなってゆく。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『徳川慶喜 最後の将軍と明治維新』松尾正人著 山川出版社
『明治維新の正体』鈴木荘一著 毎日ワンズ
『日本の歴史19 開国と攘夷』小西四郎著 中公文庫