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- 逆転の発想(19) 頭のいい人に助言を乞うてはいけない(地球物理学者・寺田寅彦)
正当にこわがることは難しい
新型コロナウイルス騒ぎが長引く中で、テレビのニュースショーでコメンテーターがよく口にする言葉がある。
〈騒ぎすぎずに正しく恐れましょう〉
多くの人が何気なく使うこの慣用句には出所がある。明治から戦前にかけて活躍した物理学者であり、名随筆家の寺田寅彦がかいた『小爆発二件』というエッセーである。
寺田が軽井沢に滞在中に浅間山が噴火した。空高く噴煙が噴き上げ、火山灰が降り注ぐ。避難する途中、ふもとの駅で浅間山から下山してきた学生から駅員が山の様子を聞いていた。学生は言った。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」。駅員は学生をたしなめる。「いや、そうでないです(危険です)」。
大した噴火じゃないという学生も、危ないぞという駅員も、なんの根拠もなく判断を下していた。その場面を振り返りつつ、寺田は書いた。
〈ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた〉
科学者である寺田は、避難の道中で噴煙の高さ、色を観察し、降灰をピンセットでつまんで携帯した顕微鏡で特徴を確認しながら、駅まで降りてきた。人命にかかわることに関して、正当な根拠のない軽々な判断を戒めている。きちんと観察し分析して判断しろという教えだ。
判断には根拠が必要である
コロナウイルス問題に戻るなら、行動自粛の解除をめぐり混乱が続いている。自粛継続論者は、「医療崩壊」の懸念を強調する。早期の自粛解除論者は、「経済破綻」を防止せよと叫ぶ。いずれも目的は明確だが、判断の根拠が不明瞭だ。その意味で、継続か解除かの根拠を示さず、なし崩し的に自粛延長を決め、世論の動きをみながら判断が揺れる政府の対応は最悪だ。ただただ、中国の経済活動再開に遅れじと活動再開を焦る米国トランプ政権の言動は支離滅裂である。
「大阪方式」の解除三原則を明確に示した吉村洋文府知事の判断こそが科学的判断に見える。ただただ、“頭のいい”専門家委員会の学者たちに分析と判断を丸投げしている安倍政権が何を目指しているのかが、国民に見えない。国民も企業も政府の判断停止状態にストレスが溜まり、疲弊しつつある。
愚直こそが真実に迫る
寺田が、〈あまり頭のいい先生にうっかり助言を乞うてはいけない〉と書いたのは、晩年の1933年のエッセー『科学者とあたま』だった。科学研究者に向けた話ではあるが、その洞察は、あらゆる組織人に当てはまる至言である。
趣旨を噛み砕くとこういうことだ。
〈科学者になるには論理的思考ができるという意味での頭がよくなくてはいけない。しかし、一方で科学者は頭が悪くなくてはいけない。頭のいい人は見通しが利くだけに、先行きのあらゆる難関が見通せる。ややもすると前進する勇気を失いがちである。頭の悪い人は、前途に霧がかかって見通せないから、かえって楽観的だ。難関に出遭っても、どうにかそれを切り抜けていく〉
〈頭のいい人は自分の頭の力を過信し、自然がわれわれに示す現象が、頭で考えたことと一致しないと、「自然の方が間違っている」と考える。これでは自然科学的ではない〉
〈頭の悪い人は、頭のいい人が、どうせダメだと見通して避けるようなことを一所懸命にやり続ける。そうした無駄の中にこそ真実への糸口がある。がむしゃらに仕事に取り付いているうちに、予期しなかった重大な結果にぶつかる機会も出てくる〉
犬も歩けば棒(幸運の飴ん棒)にあたる。先が見通せて歩かない頭のいい犬は、棒にもあたらないということだ。
「科学者」を「経営者」、「自然」を「経営環境」と読み替えてみれば、寺田寅彦の逆転の発想の意味がお分かりになろう。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『天災と国防』寺田寅彦著 講談社学術文庫
『現代日本文学大系29 寺田寅彦』筑摩書房