混迷する社会
この連載で10回にわたり、古代ギリシャとアメリカ建国の歴史を概観してきて、われわれが当たり前に享受している民主主義という制度が、政治的苦難の末の工夫として構想、構築されてきたことがお分かりになったと思う。
国民すべてに参政権を与え、多数決原則に基礎を置く民主主義という国制が目指すものは、「民意のありか」を正確に把握し、国(組織)の行方、政策へ反映させることだった。
しかし今、世界中で民主主義が揺れている。フランスではバルニエ内閣が総辞職し、ドイツではショルツ連立政権が崩壊した。アジアの中では比較的安定的に民主主義が定着していると見られた韓国でも、弾劾を恐れる尹錫悦(ユン。ソギョル)大統領が禁じ手である戒厳令を宣布し、政治的大混乱を引き起こしている。
アメリカでは、11月の大統領選挙で、直前までの既存メディアの接戦予想に反して、共和党のトランプ前大統領が圧勝した。国内でも兵庫県の知事選挙で、パワハラ疑惑で失職後に再出馬した斎藤元彦前知事が圧倒的不利と見られた予測を覆して勝利し衝撃を与えている。
それぞれの現象の背景事情は異なるが、共通しているのは、民意(世論)のありかが、見えにくくなっていることがある。大きな要因の一つは、新しく政治を動かし始めたS N S(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の出現だ。
S N Sの盲点
S N Sの出現は、社会のあり様を大きく変えつつある。個人と個人、個人と組織が直接つながることで、個人間での情報のやり取りが活発になりつつある。それを操る若者たちは、自由に意思を表明するようになる。流行、トレンドはあっという間に広がっていく。
いいことばかりではない。メディアに関わってきた筆者としては、問題点は大きく三つあると思う。
一つは、拡散してゆく情報の質である。真偽を判別するシステムを伴わないから、フェイク(偽り)情報も、瞬く間に社会に広がってしまう。あやふやな伝聞も、「・・・と誰々が言っている」の部分が抜けて、生の真実のように蔓延する。フェイクであれ、人は刺激的な話ほど他人に伝えたくなるから厄介だ。
二つめは、人の判断に与える悪影響だ。社会学者が言うところの「エコーチェンバー」という現象だ。人は情報に接するとき、自分の考えに似た情報を優先して選択するから、自らの判断に対する反省、修正が効かなくなる。検索語に自分が知りたい問題を打ち込むと、数多の情報の中から、自分と同じ考え方に共感を覚えて、そのサイト、メールの虜(とりこ)となる。
三つめとしてあげておきたいのは、声が大きいものが情報を制するという欠点だ。政治的場面、とりわけ選挙では、ある主張をS N Sで多量に発信したものが勝つ。まだS N Sの選挙利用は初期段階なので、その使い手は偏在している。うまく使えば、虚実織り交ぜた情報発信で圧倒してしまうことになる。アメリカ大統領選挙、兵庫県知事選の結果はそれだ。
既存メディアの凋落とポピュリズム
古代アテネでも、和平か戦争遂行かを民会で問うた時に、「戦争遂行によって海外からの食糧路を確保すれば生活は良くなる」とデマゴーグ(煽動者)の口車に市民は熱狂し、違うと気づいた時には、アテネは廃墟となっていた。民主主義の下で、大衆が下した多数派の「民意」が正しいとは限らない。大衆が目の前の利害に引きずられ大局を見失う先例は多い。目の前の利害で民意を誤導して政策を進めるのをポピュリズムという。危険なのだ。
「手取りを増やす」と言って、選挙に勝つことは容易い。財源の精緻な議論抜きで政策を進めれば、結局は国民の負担を強いることになりかねない。
S N Sの伸長によって、新聞、テレビといった従来メディアの凋落は、著しい。30代以下の世代で新聞、テレビを情報源とする若者は減るばかりだ。部数、広告収入の激減で、既存メディアは自信を失っている。
かつて、情報の真偽を見極めるのが、メディアの大きな役割だった。しかし今や、各メディアは、S N Sを監視するどころか、そこから、民意、トレンドを仕入れることを「チェック」といっている。
情報は、国民と社会を繋ぐメディア(媒介者)から、一人歩きするツール(道具)としてのS N Sを通して、倍速、三倍速で跋扈(ばっこ)する。
民意のありかがどこなのか、見定めにくい奇妙な時代に差し掛かっている。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com