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- 高橋一喜の『これぞ!"本物の温泉"』
- 第43回 川渡温泉(宮城県) 「ワーケーション」をするなら湯治宿で
■仕事で疲れたら、そのまま温泉へ
コロナ禍をきっかけに「ワーケーション」という言葉をよく聞くようになった。これは、「ワーク」(労働)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語で、観光地でリモートワークを活用して、働きながら休暇をとる過ごし方のことだ。
一般的にはリゾート地での利用がイメージされているようだが、温泉地もワーケーションにはもってこいである。自然豊かな温泉地でリフレッシュすれば仕事もはかどるし、疲れたらすぐに温泉で脳と体を休めることもできる。
私は10年以上前から、いわゆる「湯治宿」でワーケーションをしてきた。湯治とは、温泉地に長期間滞在して、温泉療養を行う日本独自の温泉文化のこと。
現代のように医学が発達していなかった時代は、温泉が医療の役割の一部を果たしていた。温泉に入浴したり、飲泉をしたりすることで、心身の回復を図ってきたわけである。江戸時代以降は農民など一般人の間でも湯治が盛んに行われるようになり、農閑期などに温泉地に滞在し、日頃の重労働で蓄積された疲れを癒していたという。
私が温泉地で仕事をするのは、仕事が立て込んで集中したいとき。10日間ほど湯治宿に滞在し、温泉に入りながら仕事をする。私の仕事は、原稿を書いたり、書籍を編集したりすることである。極端なことをいうと、パソコン1台あれば、どこでもオフィスになってしまう。
昔から湯治は7~10日ほど続けて行うと効果があるといわれているが、一日に数回、温泉に浸かる生活を10日間も続けていると、疲れていた体の各部位が本来の機能をだんだんと取り戻し、それにつれて気力も充実してくるのを実感できる。1泊2日の物見遊山の温泉旅行では効果がないとはいわないが、温泉の本当の効能というのは、1週間以上連続で入り続けてようやくあらわれるものだと思う。
■湯治宿は仕事がはかどって仕方がない
私がよく長期滞在していた宿のひとつが、宮城県・鳴子温泉郷にある川渡(かわたび)温泉の湯治宿。全国の温泉をめぐって、さまざまな湯治宿を訪れたが、「高東旅館」ほど相性のよい湯治宿はなかった。
湯治宿の多くがそうであるように、高東旅館も自炊が基本。炊事場や調理器具、食器も備わっている。料金も格安。1泊3000~4000円台から宿泊できる。建物や部屋も悪くない。湯治宿の中には、相部屋が基本だったり、ほとんどプライバシーのないところもあるが、立派な個室である(仕事が目的でなければ、相部屋なども楽しいが)。
宿のまわりには温泉以外の娯楽はない。仕事がはかどってしかたない環境なのだ。実際、家で仕事をしているときよりも、3倍は仕事の効率が高まる。
もちろん、仕事に疲れたら温泉が待っている。川渡温泉の湯は、緑色に美しく輝く色が特徴で、しっかりと硫黄の香りもする。
存在感のある泉質であるにもかかわらず、温泉の成分が濃すぎず、何度入っても湯あたりしにくいのがうれしい。長期滞在の場合、温泉との相性も重要である。
■宿泊客との交流も魅力
ある日、部屋に閉じこもって仕事をしていたら、戸をノックする音が聞こえた。ノックの主は隣の部屋で1カ月間、湯治生活を送っているという常連のおばあさん。「おかずをつくりすぎたから、一緒に食べよう」。どうやら見慣れない男が一日中、部屋にこもっているのを心配してくれたようだ。
事情を話すと安心してくれて、その日以来、毎晩のように一緒にご飯を食べるようになった。祖母と同世代のおばあさんと一緒にとる食事は、束の間の癒しの時間となった。このような思いもよらぬ交流も湯治宿の魅力だ。
湯治文化は、ライフスタイルの変化や大型日帰り温泉施設の急増によってだんだんと廃れつつあるが、ワーケーションによって再び脚光を浴びそうだ。